曼殊院 (3) (左京区一乗寺竹ノ内町)
比叡山西麓にある天台宗五箇室門跡の一つ 曼殊院は、「小さな桂離宮」と呼ばれる。その所以は、現在地に曼殊院を移した良尚法親王が、桂離宮を創設した八条宮智仁親王の次男であり、寺院建立にあたっては桂離宮を完成させたと言われる兄 智忠親王のアドバイスを受けたことから。
良尚法親王は、絵を狩野尚信に学んで水墨画に優れ、和歌・茶道・香道・華道にも造詣が深い文化人であった。そのため曼殊院は国宝「絹本著色不動明王像 (黄不動)」・「古今和歌集 (曼殊院本)」を始めとし、重文の「立花図 (池坊専好)」・「教訓鈔 (雅楽教本)」など多くの文化財を所蔵する。
【国宝 絹本著色不動明王像 (黄不動)】
国宝「不動明王像」(平安時代) は、三井寺 (園城寺) の国宝「不動明王像 (黄不動)」の最古級の模本として芸術的な評価も高いが、経年劣化が激しいため平成25 (2013) 年から2年の歳月をかけて解体修理された。この修理過程において「御衣絹加持(みそぎぬかじ)」と呼ばれる下絵の痕跡が初めて実物で確認され、大きな話題となった。
<御衣絹加持 (みそぎぬかじ) とは>
仏画を制作する前に「絹」を清めるために「香水 (こうずい=清められた水)」で描く仏の姿を描く「清めの儀式」。現在でも仏画制作時に行われるという。仏像制作の場合は彫る用材に「御衣木加持 (みそぎかじ)」の儀式が行われる。
「香水」は水なので本来その痕跡は残らないはずなのだが、「黄不動」のそれは薄墨で描かれていたため、修復作業過程での「赤外線透過撮影」によって初めて確認されたとのこと。「御衣絹加持」の痕跡は、不動明王像の腹部に実際の約10分の1の大きさで見つかったという。
約150年ぶりに再建された「宸殿」で国宝「不動明王像 (黄不動)」を拝見できることは今後あまり無いのではと思うと、なんだが不思議なご縁を感じる。
【弁天堂・天満宮】
曼殊院参道の左手に弁天池があり、池の中島「弁天島」へは参道から石橋が架けられている。橋の前には石灯籠と石の鳥居。橋を渡って真っ直ぐ行くと辨財天を祀る「弁天堂」があり、そのすぐ東隣には菅原道真を祀る「天満宮」。天満宮は曼殊院内の一番古い建物で、鎮守堂でもあるという。曼殊院初代とされる是算国師が菅原氏の出生であることから、曼殊院門主が長らく北野天満宮の別当を兼任していたことに由来するのだろう。小さな祠だが、曼殊院の歴史を物語っているようにも見える。
弁天島には山躑躅や楓があり、秋には池に紅葉が映える。
【谷崎潤一郎寄贈の鐘】
谷崎潤一郎は、平安王朝が舞台の時代小説『少将滋幹の母』執筆にあたって曼殊院第39世山口光円門主に天台の教学を学び、また主人公 滋幹が恋慕う母に再会する場所を曼殊院の付近と考えて、一乗寺近辺の地理について教示を乞うなどして曼殊院とのつながりが深くなったらしい。またその縁で母親の法要を曼殊院で営み、鐘を寄贈したのだろう。「あさゆふの かね能ひびきに 吹きそへよ 我たつ杣乃 やまおろし能かせ」と刻まれた鐘は、今も法要の準備や開始の合図に使用されているとのこと。
<参考資料>
・ 曼殊院門跡 ホームページ、拝観の栞 ・ 「産経WEST :ライフ」 2017.8.7 記事 (産経新聞)
・ 「ART ことはじめ」 ARTとまちあるき 2017.8.18 投稿記事 (フリーカード・システム)