「五山送り火」に思う
【送り火とは?】

そもそも 「盆 (お盆)」 とは 「盂蘭盆 (うらぼん)」 の略。古くは旧暦7月の13日から15日頃に行われ、祖先の霊 (精霊 (しょうりょう, しょうれい)) を迎えて仏事が営まれた。しかし明治6 (1873) 年の太陽暦採用に伴い、時期は地方によりさまざまになった。因みに京都では「勝手に変えたらご先祖さんが困らはる」ので、旧暦7月にほぼ相当する1ヶ月後の8月に行われる。また祖霊は親しみを込めて「おしょらい (精霊) さん」と呼ばれることが多い。
盆初日の13日夜には、「迎え火」を焚いて祖霊をお迎えする。門前や玄関先で、素焼きの器などで「迎え火」を焚いているお宅を時折見かける。「迎え火」は、帰ってくる祖霊が迷わないための目印。そして盆の終わり15日 (16日) に、祖霊を再び浄土 (死後の世界) に送るためにするのが「送り火」。
【五山送り火】
今では「送り火」と言えばまず思い浮かべられるのが
「京都五山送り火」。なかでも左京区如意ヶ嶽の 「大文字」 が有名で、その名を冠して「大文字焼」などと京都以外では呼ばれたりもする。他の四つは、左京区松ケ崎の西山・東山の 「松ケ崎妙法」 (こちらは「妙」と「法」二つで一つと数えられる)、北区西賀茂は妙見山 「船形万燈籠」 、北区大北山の大文字山は 「左大文字」 、そして右京区嵯峨鳥居本にある仙翁寺山(万灯籠山・曼荼羅山とも呼ばれる)の 「鳥居形松明」。

仏教的行事としての「送り火」が一般的になったのは、室町時代以降と考えられており、江戸時代中期には現在の「五山送り火」が成立していたのではとされる。しかも最盛期には、現存五山の他に別の五山を加え十山で行われていたという(『京都・火の祭事記』)。享保2 (1717) 年の『諸国年中行事』には、左京区市原野の「い」、右京区鳴滝の「一」、西京区西山の「竹の先に鈴(雀という説も)」、右京区北嵯峨の「蛇」、右京区観音寺の「長刀」があったと記述されている。
しかし昭和初期 (第二次世界大戦前) までには、資金難等の理由により次々となくなり、現在の五山のみが残っているようだ。各々の「送り火」には固有の由緒・歴史そして伝承されてきた技術があり、地域の特性が今も息づいているように思われる。
京都五山送り火は、昭和58年 (1983) 年10月、「大文字送り火」・「松ケ崎妙法送り火」・「船形万燈籠送り火」・「左大文字送り火」・「鳥居形松明送り火」として、それぞれ京都市無形民俗文化財に登録された。
【「五山送り火」TV中継を見ながら… 】
昨今の 「五山送り火」 は、観光事業の活発化とともに、まるで真夏の花火大会と同じように客寄せに利用されている感がある。だが、一連の行事は祖霊信仰と仏教が結びついた宗教的行事であり、それぞれの地域の人々の信仰によって始められ、代々受け継がれてきた大切な伝統行事でもある。公的記録が少ないのは、地域住民が自発的に始めたが故の結果なのではないか。経済最優先の時流の中で、最も大切な「心」が失われつつあるような、そんな気もする 「五山送り火」 だった。
<参考資料>
・ 京都市文化史 30 「大文字五山の送り火 」 フィールド・ミュージアム京都, 京都市
・ 「京都五山の送り火の保存と継承」 京都市文化観光資源保護財団
・ 「京都五山送り火」 京都五山送り火連合会
・ 「レファレンス協同データベース」 国立国会図書館ホームページ “レファレンス事例詳細 京資-198 (2012/02/17)"
・ 『仏教語源散策』 中村 元 編著 KADOKAWA, 1998 (角川文庫 20755)