賓頭盧(びんずる)尊者

宗教・信仰関連

 寺院に参拝すると、本堂脇や近くの小堂に安置されているのをよく見かける長い眉毛の痩せた老人風なお像。艶のある赤銅色のお像であることが多い。「びんずるさん」「なで仏」などと呼ばれ、この尊像には、自分の身体の悪い箇所と同じ所を撫でることで、病気・怪我が良くなるという民間信仰がある。
 しかし、「びんずるさん」って誰?なぜ、お堂の外にいることが多い?

天理市 長岳寺の賓頭盧尊者像

 「賓頭盧 (びんずるさん)」 は釈迦の弟子で、十六羅漢の一人。サンスクリット名 “Piṇḍola-bhāradvāja" (ピンドーラ・バーラドヴァージャ) を漢字で音写した 「賓頭盧跋羅堕闍 (はらだじゃ)」 の略 (他にも「賓頭盧頗羅堕」「賓頭盧突羅闍」などもある)。
 古代インドのヴァツサ国 (あるいはヴァンサ国) の首都コーサンビー (あるいはカウシャーンビー) のウダヤナ (優塡 うでん) 王の大臣の子息ともされる。バラモンであったが、出家し阿羅漢果を証して神通力を得る。説法にすぐれ、他の異論反論を許さずライオンのように論破するので 「獅子吼 (ししく) 第一」 と呼ばれるようになった。白髪長眉の相があったとされる。

<エピソード①>
 ある時、王舎城 (ラージャグリハ=古代インド マガタ国の首都) の一人の長者が、栴檀の鉢を竿の先に吊るして高く掲げ、「神通力あるものはこれを取ってみよ」と言った。名だたる行者がわれ先に試みるが、何れも失敗。これを眺めていた 賓頭盧 は、弟子仲間の 目犍連 に唆されて神通力を用いてやすやすと鉢を取ってみせた。
 後にこの件を知った釈迦は、修行者にあるまじき行為をしたと賓頭盧を厳しく叱責。釈迦に退けられた賓頭盧は、閻浮提 (えんぶだい) を去って西牛貨洲 (さいごけしゅう) に移り住み、人々の教化に励んだと言われる。
 また、その後、釈迦から閻浮提に帰ることを許されるも、正法尽きるまで涅槃に入らぬようにとの仏勅を受け、永く南インドの摩利 (マリ) 山に住した。そして仏滅後の衆生済度に努め、末世の供養に応じて大福田となった。


<エピソード②>

京都雲林院 賓頭盧尊者堂

 仏道を歩む者の飲酒は、修行の妨げになるとして厳しく禁じられていた。ところが無類の酒好きの賓頭盧さんは、ある時どうしても我慢できずに、こっそり「一口だけ」と飲んでしまう。少しだけのつもりが、いつしか全身が真っ赤になるほどに。これも釈迦に知られてしまい、きつい叱責とともに本堂への出入りも禁じられてしまった。心より反省した賓頭盧さんは、それ以後はひたすら修行に励み人々の救済に専念した。
 以上は俗説と言われ、本当の理由は、修行が最高に高まって生命力に満ち溢れているために紅潮し、真っ先に人々の救済に駆けつけられるように常にお堂の外に控えているとか。


<エピソード③>
 4世紀中国 東晋代の僧 釈 道安 (初期の中国仏教確立に貢献し、漢訳経典の総目録『綜理衆経目録』を編纂する) が、翻訳の在り方などについて思い悩んでいた時のこと。夢の中で「若し説く所遠理に堪えずば、願くば瑞相を見せ」と念じていると、頭白眉長の胡道人 (異民族の僧) が応えた。「君の注する所の経は、殊に道理に合す (云々)」と。
 夢から目覚めて後、その僧が賓頭盧であることがわかると、道安は賓頭盧の像を造り、飲食をもって供養したという。
 その後、中国では聖僧として拝されるようになり、寺院の食堂に祀られるようになった。日本においては、食堂から本堂の外陣や回廊へと安置場所が変化し、やがて病や怪我を治癒する「なで仏」にもなっていった。

<「おびんずるさん」が盗まれた!>

萬福寺 賓頭盧尊者像

 2023年4月5日、長野 善光寺の「びんずる尊者像」が盗難に遭うという事件があった。同日中に犯人は逮捕。その数時間後に「おびんずるさん」は無事発見され、善光寺に返還されたが、寺では台座周辺の防犯カメラを増やし、本堂の職員らの人員配置を見直したということ。
 無事戻られた「おびんずるさん」の顔は、本当にツルツルで目鼻もよくわからないほど。とても多くの信者の方々に撫でられ続けてきたのでしょうね。   ”南無賓頭盧尊者”

<参考資料>
・ 『コーサンビーの仏教』 森 章司・本澤綱夫 共著 (「中央学術研究所紀要」モノグラフ篇 No.14【論文19】)
・ 『賓頭盧尊者』  WEB画題百科事典「画題Wiki」, 立命館大学アート・リサーチセンター
・ 「やさしい仏教入門」 飛不動 龍光山正寶院 website
・ フリー百科事典 『ウィキペディア(Wikipedia)』    ・ 朝日新聞 website