石上神社(いそのかみじんじゃ) (京都市南区九条町)

東寺の塔頭 宝菩提院の北側の静かな住宅街に、小さなお社「石上神社」がある。正式には「石上布留社 (いそのかみふるしゃ)」といい、弘法大師空海の生母の実家 阿刀 (あと, あとう) 家の祭壇であった。また「弘法大師のお地盤 (じば) の明王」と呼ばれる「波切不動明王」も、境内に祀られている。
東に向いて建つ石造の明神鳥居の前には、「行者神變大菩薩 東寺執行」の石標。ここは、東寺執行 (しぎょう) 職を世襲した阿刀家の邸跡。
【歴 史】
(創建の詳細、変遷に関しては不明な点が多い)
弘仁14 (823) 年 嵯峨天皇は、官寺であった「東寺」を空海に託す。この時、空海の父の実弟で、阿刀家の女婿となった阿刀大足 (おおたり) が東寺執行 (しぎょう) となり、以後、東寺執行家 (真言宗政所) の宰主は、阿刀家が歴代世襲。
明治4 (1871) 年 東寺政所が廃止となる。
明治維新以来、大和国一宮三輪社の神道、三輪山の山伏宗が継受相続され、「三輪山大御輪寺」と「三輪山平等寺」の寺号も保全されているという。
【境 内】
<石上神社 本社>
(祭神) 石上布留御魂(いそのかみふるのみたま) 相殿 (祭神) 阿刀大神
覆屋の傍には、「石上神社 稲荷神社・阿刀宿(禰?)」と刻まれた古い石標がある。
*その他、摂社・末社の小さな祠がいくつかあり、三輪・伊勢・賀茂・石清水・二天夜刃 (やしゃじん)・役氏小角 (役小角?)・稲荷・弄鈴 (なるこ)・王仁 (わに)・空海大神が祀られていると案内板には書かれているが、どの社なのか、またどういう神なのか判然としない。

<波切不動明王の祭壇>
境内南側には、空海ゆかりの「波切不動明王」が祀られる祠がある。
瓦葺の覆屋の入り口正面には、「東寺執行」と刻まれた石柱のような線香立てがあり、「波切不動明王」と書かれた奉納提灯が掛けられている。石畳の踊り場へと進むと、仄暗い空間に野面積みのように積み重ねられた石の洞穴がある。洞穴内のすり鉢状の祠に、波切不動明王の石像が安置されている。井泉があるようで、常に水掛けをして拝されているためか苔むして冷気が漂う。
祠には鉄格子がはめられているので、不動明王の姿はよく見ないとわからない。が、ふっと目が合った (と感じた) 瞬間、言葉では表せないような不思議な感覚を味わった。また明王前の井泉には、かつては水が湧き近所の人々が水を汲みに来ていたらしい。しかし、1964 (昭和39) 年の東海道新幹線開通直後より徐々に湧水量が減り、現在は完全に止まってしまったとのこと。
祠の東側には、「波切」の紋が刻まれたがっしりとした石造の手水鉢がある。そしてその傍には、「波切不動明王」と刻まれた何とも立派な石碑が置かれている。どうやら信仰五十年記念に奉納されたものらしい。
<大木クスノキと地蔵堂>

本社近くには、しっかりと根を張ったクスノキの大木 (樹高9.5m, 幹周2.2m) がある。お社を守るかのように力強く梢を広げるクスノキは、南区の「区民の誇りの木」に指定されている。そしてその傍には地蔵堂 (?)。中には白い顔の地蔵石仏がいくつも並べられている。
【波切不動明王について】
弘法大師空海が、唐より帰国する途上で嵐に遭った時のこと。自ら赤栴檀 (しゃくせんだん) の霊木を彫って作った不動明王像に祈願したところ、明王は全身から光を放ち荒波を切り鎮めて船を救ったという伝承がある。
その大師自作とされる不動明王は「波切 (浪切 ナミキリ) 不動明王」と呼ばれ、現在は「高野山別格本山 浪切不動尊別当 南院」の本尊として祀られている。そのご利益は、航海安全、海難除けはもとより、現代では人生の困難や障害を断ち切り心願成就、家内安全など幅広いという。
境内の案内書には、“境内に在るナミキリ不動明王は、弘法大師のお地盤の明王と云はれ、四国路、東寺、高野山などの霊地に参りても、ここ弘法大師のお地盤の明王に参らざれば、御りやくが、頂けない"
とある。弘法大師の信奉者、また真言宗信者にとっては大切な場所であることが、ひしひしと伝わってくる場所。
【東寺執行 阿刀家伝世資料等について】

阿刀大足以来「造東寺所修理別当職」を世襲で受け継いできた阿刀家は、現在42代目の阿刀弘史 (あとう こうじ) 氏がその家系を継いでいる。しかし先代 阿刀弘文氏 (1982年逝去) が存命中に、相続を巡るトラブルが発生。弘文氏逝去後の1983 (昭和58) 年4月には、その遺志により、秘蔵の古文書類約2千点、美術工芸品1千点が京都国立博物館に寄贈・寄託されるも、1986 (昭和61) 年には寄贈・寄託品すべての引き渡しを求める訴訟が起こされた。その後、1992 (平成4) 年に和解成立。絵画・彫刻など美術工芸品106件を遺族が共有し、古文書類約3,400件は国の所有に帰すということで決着したという。
東寺には8世紀から18世紀までの約千年にわたる膨大な量の古文書群『東寺百合文書』が伝えられてきたが、『阿刀家伝世資料』がこれに加わったことで、歴史上の新たな知見が期待される。

最後に、「石上布留社」「波切不動明王」のあるこの地は、阿刀家の個人所有であるようで、固定資産税などの軽減措置の対象にはならない。そのため、境内地を切り売りすることで税金の支払いにあててきた結果、広大であった敷地も現在のように狭くなったらしい。東寺を訪れる人々が、こちらにももっと足を運べば良いのに…。
*因みに、嵯峨広沢南野町には、阿刀家の祖霊社 「式内 阿刀神社」 がある。
<参考資料>
・ 石上神社境内案内 京都市
・ 『阿刀氏家譜系脈 御由緒ニ関ハル古記調査書類』 現代語訳・解題(1)阿刀弘史著 (「紀要」第32号, p75-84) 公益財団法人滋賀県文化財保護協会, 2019.3
・ 高野山別格本山 浪切不動尊別当 南院 website
・ 「南区・区民の誇りの木 エリアB」 京都市情報館 website


