有為泡影 8

総記,奈良・寺社

 いく春を かさね迎えし 初名草 貴き山に 凛として立つ  (畦の花)

 信貴山朝護孫子寺の本坊の庭に梅の古木が一本。その傍らには「名木 梅の木 樹齢400余年」と書かれた駒札。その説明によると、この梅の古木には以下のような謂れがあるという。

 戦国時代。信貴山頂上付近には、松永久秀が築いた大規模な山城「信貴山城」があった。天正5 (1577) 年、久秀が信長に反旗を翻したため信貴山城は落城。その兵火により「朝護孫子寺」も焼失。その後、灰燼に帰した本堂及び諸堂を豊臣秀頼が祈願所として再建し、慶長15 (1610) 年に梅の木をこの霊地に手植えした。

 

 苔むし、枝には折れないように支えがされ、痛々しくも見える。しかし、よく見ればその枝にはびっしりと蕾が付いている。生命力の強さを感じる古木。開花までには少しあるようだが、きっと「名木」の名に恥じない美しい花を咲かせるのだろう。
 … つい擬人化して「痛々しい」などと表現してしまったが、植物には感覚も意識も知識もない。ただただ自然の摂理に調和し生命を紡いでいるだけのこと。そんな自然の真理に触れた時、人は自身の卑小さを思い知らされる。

 

 梅尾明恵上人 (高山寺) の遺訓の冒頭には「人は阿留辺幾夜宇和 (あるべきやうわ)」と云ふ七文字を持 (たも) つべきなり。」という言葉が記されている。梅の古木は、まさに「阿留辺幾夜宇和」そのままの姿。私もまた「阿留辺幾夜宇和」を目指したいものだ。

<参考資料>
・ 信貴山朝護孫子寺  website     ・ 「県指定 信貴山城(しぎさんじょう)跡」  平群町 website
・ 『明恵上人集』  久保田 淳・山口明穂 校注  (岩波文庫 青326-1)