自然は楽し!(1) 仁和寺:結実の春
遅咲きの御室桜が咲き誇る【御室花まつり】の頃は、仁和寺が一年で最も賑わう季節かもしれない。しかし、それ以外の時でも仁和寺には豊かな自然が息づき、訪れるたびに四季折々の顔を見せてくれる。
<桜の実熟す>
5月も半ば過ぎ。久しぶりに仁和寺に参拝。花見客は去ったが、修学旅行生達が増えたようだ。
すっかり葉桜の御室桜だが、よく見れば豆粒くらいの可愛い赤い実がいっぱい生っている。ふっと島崎藤村の小説『桜の実の熟する時』を思い出した。主人公の青年 捨吉が、落ちた桜の実を拾い上げてその香りを嗅ぐシーン。
風が来て桜の枝を揺るような日で、見ると門の外の道路には可愛らしい実が、そこここに落ちていた。
「ホ、こんなところにも落ちてる」
と捨吉は独りで言って見て、一つ二つ拾い上げた。その昔、郷里の山村の方で榎木の実を拾ったり橿鳥の落した羽を集めたりした日のことが彼の胸に来た。思わず彼は拾い上げた桜の実を嗅いで見て、お伽話の情調を味った。それは若い日の幸福のしるしという風に想像して見た。

将来の見えない文学の道を敢えて選ぼうとする捨吉=藤村の、少年の日への甘い感傷と訣別がない混ぜになった心情が、小さな桜の実に投影されているようだ。そう言えば、”THE ALFEE” にも同じタイトルの歌があった。やはり青春の甘酸っぱい挫折と希望を、桜の実が象徴しているような歌詞。
赤く色づいた桜の実は、とても美味しそうに見えるが、サクランボではないので残念ながら大抵の場合は食べられない。種類によっては有害なシアン化合物がふくまれていて、食べるとお腹をこわすこともあるらしいので要注意。ただし、”啓翁桜” という品種は、花の鑑賞と実の食用を兼ね備えた数少ない桜らしい。
<カエデの花は飛行準備>

秋の仁和寺は、イロハモミジの紅葉で春とはまた異なる趣きがある。そのイロハモミジも、5月にもなるとすっかり “青モミジ”。
4月、若葉が繁る頃、カエデ (モミジ) はとても小さく愛らしい花を咲かせる。その様子は、線香花火に少しばかり似ている。桜の実が熟す頃、カエデの花も結実して紅い「プロペラ (翼果)」となり、やがて葉と同じ色になって旅立ちの秋を待つ。
紅葉の時ばかりが話題になりがちなカエデだが、新緑の時期にはまた別な魅力がある。
<菅公ゆかりの梅実る>

仁和寺境内の西北に祀られる 「水掛不動尊」 が立つ岩は、菅原道真ゆかりの 「菅公腰掛石」。初春ともなると、御堂への参道は北野天満宮から寄進された紅白の梅が咲き競う。その梅の木もいつしか若葉薫る頃、 「水掛不動尊」 に参拝してふと見上げると… 若緑のまあるく可愛い実が …ここにも、そこにも!葉と同色で最初は気づかなかったが、たくさんの実が立派に生っている。
梅わかば 青き実ひっそり 守るかな (畦の花)
折しもテレビでは、北野天満宮で正月の縁起物「大福梅」にする梅の実の採取が始まったと報じられていた。"仁和寺の梅の実はどうするのかな?" ふと気になる。
<花梨 (カリン) の実>

西門北側にある弘法大師像や宇多法皇像を安置する 「御影堂 (みえどう)」
の南側参道に、一本の花梨の木がある。桜の木の間にそっとあるので、これまで気付くこともなく通り過ぎていた。ところがこの春、ピンク色がかったちょっぴり洋梨のような実を発見。"何の実?" と近寄ってよく見れば、木の根元に「花梨 (かりん)」と書かれた案内板。それによれば
「821年、空海が満濃池修築のために満濃町を訪れた際に、宿を提供してくれた矢原邸の庭に唐より持ち帰った花梨の苗木を植樹した。それが縁となり、花梨は満濃町の町木に選定。昭和63 (1988) 年、香川県満濃池森林公園で開催された「第39回全国植樹祭」で、上皇ご夫妻 (当時は皇太子夫妻) が蒔かれた種が成長し、仁和寺に植樹された。」 とのこと。
現在も満濃町の「矢原邸の森」には、二代目となるカリンの木があるという。
秋、熟したカリンの実を部屋に置いて甘い香りを楽しんだり、冬にはカリンエキスの入ったのど飴にお世話になったりするあの「カリン」!その木を見るのは初めてで、しかも空海ゆかりとは知らなかった。今年はその成長を見てみよう。
<松の雌花って可愛いな!>

「大黒堂」 近くにある アカマツ の葉先に、赤紫色の小さく細長いマツカサのようなものが生っている。気になって調べてみたら「雌花」だった。松の雌花は、シュート (新しい枝) の先に1〜4個ほど付き、長楕円形の雄花がその下部に群がるように付くという。そしてシュートの下にある小さなマツカサは、1年前に受精した雌花花序が成長したもので、今年の秋には成熟マツボックリになるそうだ。… そう言えば、マツは雌雄同株だった。
松の葉は触るとチクッとして痛いと思っていたが、痛いのは「クロマツ」で、「アカマツ」は触っても痛くはないことを最近知った。よく見れば「アカマツ」の葉の方が細く柔らかで、色もやや明るい緑色。樹皮の色や樹形から、「クロマツ」は「オマツ (男松・雄松)」、「アカマツ」は「メマツ (女松・雌松)」とも呼ばれるらしい。また秋の味覚「松茸」は、主に「アカマツ」林で生育するという。
梅雨入りが発表された日、久しぶりに仁和寺を訪れる。東門近くに、最近植えられたと思しき紫陽花がきれいに咲いていた。桜の後で少し寂しくなった境内も、また賑わうかな?
<参考文献>
・ 『桜の実の熟する時』 島崎藤村 著 新潮文庫, 新潮社 1968年 21刷改版
・ 「松江の花図鑑」 website