『森のバロック』中沢 新一 著
書店の棚に謎めいたタイトルを見つけ、手に取ったのがこの本との出会い。一体何が書かれているのだろうと、表紙から受ける宗教的なものを感じながらページを繰ると、南方熊楠 の思想・行動に関する著者の思考の足跡がそこにあった。最近、熊野三山や熊野古道について調べていたので、書棚の片隅に埋もれていたこの本を再読することに。
私が初めて 「南方熊楠」 なる人物を知ったのは、鶴見和子氏の著書『南方熊楠:地球志向の比較学』(講談社学術文庫)でだった。環境問題の告発やエコロジー活動の先駆けとも言えるレイチェル・カーソンの『沈黙の春』読後のことで、南方が日本での自然保護活動における先達として評価されていることを知った。
東大大学院博士課程在学中にチベット密教の修行体験をした経歴を持つ中沢氏にとって、熊野という深い森の中で粘菌類や民俗学、宗教学など幅広い分野で独自の研究を続けた南方熊楠という人物は、大いに惹かれるところがあったのだろう。この書は、単なる「南方熊楠の伝記」などでは全くない。南方熊楠の人生・思考を多くの資料を元に縦横無尽に語りつつも、そこには 「中沢新一」 という個人の「思考マンダラ」が歴然と存在している。なんとも奥深く刺激的で興味深い。
個人的には、真言宗僧で仏教の新たな可能性を模索していた 「土宜法竜」 と南方熊楠との出会いと深い交流の存在を知り得たことが、仏教思想を理解する上で有益と感じた。「南方マンダラ」は、土宜との出会いがあったからこそ、より深まりを見せたのかもしれない。また、「結論」の後に付された70ページほどに及ぶ「補遺」で展開される「中沢ワールド」は、「補遺」の枠を軽く超えている。
最後に、南方の岩田準一氏宛書簡より引用された文章で、深く感じさせられたものを記しておこう。
生命というのは、ひとつのきわめて微小な光のまたたきのようなものなのだ。それは、はじまりもない過去から、一度もとぎれることなく流れつづけている、巨大な不思議を内蔵したひとつの連続体の中に、またたきあらわれる現象にすぎない。 (『森のバロック』 p.438)
* 『森のバロック』 中沢 新一 著 せりか書房, 1992.10 (ISBN: 4796701710)