猿田彦神社 (山ノ内庚申) (右京区山ノ内荒木町)
天神川三条の 「猿田彦 (さるたひこ) 神社」 は、「山ノ内庚申 (こうしん)」とも呼ばれ、京洛三庚申 *1 の一社に数えられる歴史ある神社。「庚申信仰発祥の地」とも称されるようだ。
地下鉄東西線「太秦天神川」駅または京福嵐山本線「天神川」駅から徒歩3分ほどの三条通に面して建つ。猿田彦橋や嵐電の車窓からは、こんもりとした森の中にお社の屋根が見える。
御祭神:猿田彦大神 *2
【歴 史】
<平安時代>
天台宗開祖 最澄が座禅のために霊窟を探していたところ、猿田彦大神が現れてこの地 *3 を指し示したので、座禅石の傍らに猿田彦大神を祀ったのが始まりと伝わる。
<鎌倉時代>
第88代 後嵯峨天皇の行幸の際にも、猿田彦大神が現れて道案内を務めたとされ、その後天皇の命により社殿が建立された。
<近 代>
1885 (明治18) 年 社殿が安井より現在地に移された。
<現 代>
1980 (昭和55) 年 60年毎の庚申の年にあたり、神殿が修復された。その折に礎石として使用されていたかつての道標に「あたごへ二里半」などと刻まれていたという。
2024 (令和6) 年 境内中央にあった拝殿が取り壊され、その跡地に方位石が設けられた。
【境 内】
三条通から少し下り坂になった参道に入ると、右手に「猿田彦神社」の石柱があり、その先に石鳥居が見える。石柱には「見ざる 言わざる 聞かざる」の三神猿を表す御神紋も。
境内の北側には大小さまざまな石が置かれているが、これらは当社がかつて修験者の行場であったことの名残を止めるものという。
<方位石 (2024年に新設)>
鳥居をくぐると本殿前に柵が設けられた石造物が見える。八角形の方位石で、中央に「拝殿跡」と刻まれた石。その周りには十二支の干支が刻まれている。以前はここに「拝殿」があり、初庚申の日には「護摩焚き神事」がその前で行われていた。伊勢の猿田彦神社と同じように、方位石は神聖なパワースポット?
<本 殿>
方位石の後方に拝所があり、その奥に流造の御本殿。狛犬ならぬ「狛猿」(?) が左右に鎮座し、壇上には御幣を手に掲げた木彫りの庚申猿が腰を下ろす。その様相はとてもリアルで、参拝者をぐっと見つめているようだ。屋根下にも猿の彫刻。さらには奉納されたと思われる三猿像が、所狭しと置かれている。




<大国主神社>
本殿左には大国主神社があり、社殿右手前には恵比寿 (蛭子, 恵比須, 戎?) 天の石像が安置されている。
主祭神「大国主神 (命)」は国津神の代表的な神で、素戔嗚尊 (すさのおのみこと) の子あるいは子孫とされ、出雲大社の祭神。天孫降臨の際の国譲りで知られ、諸業繁栄・縁結びの神として信仰される。国譲りの神話では、大国主神の子の事代主神が父に代わって承諾の返答をするが、この時に事代主神が海で釣りをしていたとされることから、いつしか事代主神は七福神の海の神である恵比寿天と同一視されるようになったらしい。そのような由緒から、「猿田彦神社」では「父子の神」としてお祭りされているのだろう。
<石像群>
「大国主神社」の左奥 (境内南西隅) には、時を経た石像が祠に祀られている。役行者・聖観世音菩薩・不動明王・延命地蔵大菩薩2躯。役行者像には小さいながらも前・後鬼も付いていて興味深い。古来の神仏習合の名残りを感じる。
<秋葉社・稲荷社・庚申楠>
本殿右には朱い鳥居。その奥には「秋葉社」「稲荷社」のお社。「秋葉社」の御祭神は「秋葉明神」で、火防 (ひよけ)・火伏せの神として広く信仰される。「稲荷社」の御祭神は、穀物・農業の神「稲荷大神」。

また社務所前には、樹齢700年ともされる大木「庚申楠」が屋根よりも高く境内を覆うかのように青々と生い茂っている。高さ約20m、幹周約3.6mで「右京区 区民の誇の木」に選定されている。
<白猿木彫像>
台風による被害で倒れた御神木を彫って作られたという大きな「白猿木彫像」があるが、普段は非公開とのこと。
年に六日あるという庚申の日 (縁日の日) 以外は、社務所は無人で閉まっているので、お守り等は「西院春日神社」で授与していただくことになるが、今回は8月19日の庚申の日に参拝したので、社務所が開けられていた。そしてふと社務所の中を眺めると…「白猿木彫像」が置かれていた。偶然とは言え、なんだかご縁を感じた。
*1 京洛三庚申
八坂庚申堂 (金剛寺)、粟田口庚申堂 (尊勝院)と山ノ内庚申 (猿田彦神社)。
「庚申」とは、干支の十干・十二支の組み合わせの一つで「庚 (かのえ) 申(さる)」を表し、57番目にあたる。道教の「三尸 (さんし) 説」では、人の体内に住む3匹の虫 (三尸) が庚申の夜に体内から抜け出して、天帝にその人の罪過を告げるとされた。日本では奈良時代末に、庚申の日には眠らずに身を慎めば長生きできるという「庚申信仰」が広まり、民間では「庚申講」などが行われるようになった。
猿田彦神社では、年の初庚申の日には「護摩焚き神事」が行われ、多くの参拝者で賑わう。
*2 猿田彦大神 (さるたひこのおおかみ)
天照大神の孫にあたる瓊杵尊 (ににぎのみこと) の天孫降臨の時に、高千穂へ道案内をした神様。道開きの神、人生の道案内の神と崇められ、開運除災、除病招福のご神徳があるとされる。天岩戸の前で踊ったことで知られる天鈿女神 (あめのうずめのかみ) を妻に持つことから、芸能の神様として「諸芸上達」のご利益でも知られている。
*3 ただし、創始の地は、現在の所在地よりも少し北にある安井村松本領 (現 太秦安井松本町) だったとのこと。多くの修験者が愛宕詣の前に滝行で身を清めた霊場だったようだ (右京区役所東側を流れる天神川畔の近くか ?)
<参考資料>
・ 猿田彦神社 website (西院 春日神社 websiteよりリンク) 及び 境内内由緒書
・ 「区民の誇りの木」 京都市情報館 ・フリー百科事典 『ウィキペディア(Wikipedia)』