鴨川の冬:ユリカモメのいる風景
大寒の寒波が少し緩んだ日、久しぶりに鴨川まで出かける。お目当ては、ユリカモメ。まずは三条大橋に。… ん?橋の北側に白い鳥の群れが… ユリカモメ!!
河原に下りていくと、鳥たちに餌をあげている人が…。その人の周りにはハト、セキレイ、カモそしてユリカモメ達が集っている。

少し離れた所で様子を見ていると、川の流れにユラユラと身をまかせていたユリカモメが、ヒョイっと水面から飛び立ち滑空。水面に浮かぶ姿はなんとも愛らしいのに、羽を広げて飛び立つ姿は大きく逞しい。時折、空中で2羽のユリカモメが追いかけっこでもするかのように飛行し、そして着水。きっと遊んでいるんだろうナ!
昨冬は遠くから眺めるだけだったユリカモメ。今回は、触れるほどの近さにまでやって来てくれたので、じっくり観察。朱い嘴に脚がトレードマーク。冬羽の今は、全体が白っぽく、かわいい目の後ろに黒っぽい斑点。「イヤーマフ模様」というらしい。翼は薄い青灰色だが、先端が黒い。羽を広げて飛んでいる姿を見ると、羽の先端が黒いのがよくわかる。夏羽になると頭部全体が黒くなり、まるで黒い頭巾でも被っているように見えることから「黒ずきん」と愛称されることもあると聞く。鳴き声は、見た目の可愛さとは裏腹に「ギィー」とか「ギュゥーィ」などといささか賑やか。

河原を三条大橋から四条大橋の方に歩いていくと、南座がよく見える辺りで別のユリカモメの群れが飛び交っている。川の流れに揺蕩うていたかと思えば、突如として空中に向かって飛び出してを何度も繰り返し、見ていて飽きない。
《 ユリカモメとミヤコドリと ”都鳥” ?? 》
(1) ”ユリカモメ (百合鴎)” ってどんな鳥?
ユリカモメ (学名 Larus ridibundus , 英名 Black-headed Gull) は、チドリ目カモメ科に分類される全長約40cmの小型のカモメ。ユーラシア大陸の温帯から亜寒帯で繁殖し、冬は南下してヨーロッパ、アフリカ、インド、東南アジアへ渡り越冬する。日本には冬鳥として渡来し、主に本州以南で越冬する。
水辺植物が繁茂する湖沼周辺や河川沿いの湿地で繁殖。渡りや越冬の時期には、海辺だけでなく河川や湖沼などの内陸部にも多く分布し、水生昆虫や小魚だけでなく、パンくずなど多様な餌を採食する。その名については、入江にいるカモメ→ “イリエカモメ" が転訛して “ユリカモメ" になったという説もある。
(2) 鴨川とユリカモメ
京都近辺では戦前から琵琶湖がユリカモメの越冬地になっていたようだが、鴨川で初めて飛来が確認されたのは1974年とのこと。その数約200羽。鳥類学者やボランティアの人々が協力して観察した結果、鴨川に飛来するユリカモメは、琵琶湖にあるねぐらから東山を越えて来ることが判明。
その後の1979年2月。大阪府岸和田市で標識番号のある足環を付けたユリカモメが保護される。京都在住の鳥類学者 須川恒氏は、その標識を頼りに努力を重ねてユリカモメの営巣地がカムチャッカであることを突き止めた。1980年4月のことだったという。須川氏の陰の協力者として、"町のユリカモメ研究家" こと大槻史郎氏の存在があったことも特筆に値するだろう。1993年3月には、北大路商店街振興組合と有志の人々により大槻氏の遺志を継ぐ形で「ユリカモメ保護基金」が設立される。主な活動は、毎冬のユリカモメの飛来数の調査、弱った個体の救助、学術支援のための募金活動など。
1980年代中頃には、京都市内の鴨川や桂川で越冬するユリカモメは約1万羽に達したという。しかしこれをピークに徐々に減り、2000年以降はその3分の1程にまで減少。その理由としては、カムチャッカのコロニー (フラマビツキー湖周辺) の自然環境の変化の影響により営巣数が減少していることが考えられるようだ。
また、須川氏らの地道な観察の結果、鴨川で越冬を続けたユリカモメは、大阪湾や播磨灘でイカナゴのシンコ (稚魚) 漁が始まる2月末から3月にかけてそちらに移動することもわかってきたとのこと。しかし、最近ではイカナゴ漁も不漁続きのようで、ユリカモメもどうなるのか気になるところだ。
(3) ユリカモメは「都鳥」?ミヤコドリが「都鳥」?
平安時代前期の歌物語『伊勢物語』の東下り章段 (第9段) に、「都鳥」という鳥が登場する。この話では、昔男の一行が墨田川を渡る途中で見慣れぬ鳥を見つけて渡し守にその名を尋ねている。
「…しろき鳥のはしとあしとあかき、しきのおほきさなる、水のうへにあそひつゝいをゝくふ。京には見えぬ鳥なれは、みな人見しらす。わたしもりにとひけれは、これなん都鳥といふをきゝて
名にしおはゝいさ事とはん都とり わか思ふ人はありやなしやと
とよめりけれは、舟こそりてなきにけり。」
(参照:『伊勢物語 上』(広島大学図書館所蔵)より)
ここで歌に詠まれた「都鳥」は「ユリカモメ」を指すというのが現在では定説となっている。ただ、問題なのは「ミヤコドリ」という名を持つ鳥が別に存在するということ。「ミヤコドリ」 はチドリ目ミヤコドリ科に分類され、学名:Haematopus ostralegus、英名:Eurasian oystercatcher なる鳥。その姿は頭部から背中全体が黒っぽく、腹部は白。赤色の太く長い嘴が特徴的で、カキなどの二枚貝をこじ開けて食べるという。東下りでの描写「しろき鳥のはしとあしとあかき」には些か合致しないことと、その当時には都 (京都) ではユリカモメは見られなかったことが 「都鳥」=「ユリカモメ」 説の根拠らしい。また、武蔵国豊島郡の隅田川右岸にヤマト王権 (大和朝廷) の屯倉 (ミヤケ) があったとする川尻秋生氏の説を援用して、田島公氏は元々「屯倉 (ミヤケ) 鳥」であった呼称が「ミヤコドリ」へと転訛したのではと仮説している。
因みに古典文学で「都鳥」が最初に登場するのは、『万葉集』4462番の大伴家持の歌。
舟競ふ堀江の川の水際に 来居つつ鳴くは都鳥かも
しかし、この歌で家持が詠んだ「都鳥」は、「ユリカモメ」ではなくミヤコドリ科の「ミヤコドリ」とも言われる。その理由として、同時に詠まれた歌がホトトギスの初鳴き (5月中旬頃) を題材にしており、ユリカモメは北に帰っていないのではないかとか、水際に降りて鳴いている仕草がミヤコドリらしいとか …。
なかなか悩ましい問題で、様々な人達が「都鳥」の正体について論を張ってきたがどうやら決定打はまだないらしい。
そんな人間の思惑をよそに、今日もユリカモメは楽しげに京の空に舞う!


<参考資料>
・ 『京都の白い冬 ユリカモメを追うー北に過去に』 京都大学新聞, 2016.01.16
・ 『ユリカモメ』 須川 恒著 (「Bird Research News」 Vol.5 No.1 2008.1.21 日本鳥類標識協会)
・ ユリカモメ保護基金 HP ・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・ 『野鳥シリーズ96 ユリカモメ』 あきた森づくり活動サポートセンター総合情報サイト
・ 『「都鳥」幻想』 吉海 直人 著 (同志社女子大学 website 「教員によるコラム」2019/06/06)