蔵林寺(宇治市五ケ庄三番割)
源信山 常行院 藏林 (ぞうりん) 寺 浄土宗 本尊 : 阿弥陀如来
(アクセス) JR奈良線黄檗駅から徒歩3分ほど。京阪宇治線黄檗駅からは、徒歩5分ほどの地にあり、黄檗宗大本山 萬福寺のすぐ近く。
【歴 史】
寺伝によれば、平安時代に『往生要集』を著したことで知られる天台宗の僧 源信 (恵心僧都) により、寛和2 (986) 年に開かれた。
源信42歳の時。この地に来て説法を続けていたところ、病気になりしばらく養生のため逗留。その間に阿弥陀如来坐像を刻み、当寺に祀ったとされる。
【境 内】
静かな住宅街にある参道前に「恵心僧都開基 源信山 蔵林寺」の寺標。その隣には、地蔵石仏を祀る小堂。参道先には瓦葺屋根の山門が見える。参拝時、山門横の芙蓉の花が咲き競い、本堂前にはこれから「臥龍松」になりそうな枝ぶりの見事な松がある。季節の草花もそこかしこに植栽されて、清々しい雰囲気の寺院だ。
<本 堂>

桟瓦葺き三間三面の比較的新しいお堂。瓦の先の蓮の丸い蕾 (未敷蓮華?) が珍しい。庇の蟇股には浄土宗の宗紋「月影杏葉」が刻まれ、象の木鼻が付けられている。堂内はさほど広くはないが、折上げ格天井の内陣は、煌びやかに荘厳されて、さすが「浄土宗」寺院といった感じ。
特別公開の折に参拝したので、本堂内陣まで入れていただくことができ、御本尊始めとする仏像群を間近に拝観することができた。しかも写真撮影も珍しく許可された。
[阿弥陀如来坐像 (宇治市指定文化財)]

まず須弥壇中央に御本尊の阿弥陀如来が勢至菩薩 (本尊右)・観音菩薩 (同左) を従えて座している。平安時代後期の寄木造 (像高88.3cm) の阿弥陀如来は、多くの人々の祈願を受けられたのか、煤で黒ずんでいる。どちらかと言えば小顔で、頭部螺髪も小さい。対照的に額の白毫は大きく光り輝き、スッと通った鼻筋に小さな唇。少年のような若々しさが漂う。丸みを帯びた両肩を覆う通肩の衣は、座した膝の上にゆったりと掛かっている。
光背と両脇侍は後補のもののようだ。
[薬師如来坐像 (宇治市指定文化財)]

阿弥陀三尊に向かって右手の須弥壇に安置されている。こちらも平安時代後期作、寄木造 (像高87.3cm)。定朝様の美しい像で、左手に薬壺を持つ。ゆったりとした静かな印象を受ける。光背には五つの梵字。
[地蔵菩薩・毘沙門天 (宇治市指定文化財)]
須弥壇左手には、地蔵菩薩と毘沙門天の立像 (御本尊に近い方から) が並んで祀られている。どちらも平安時代末期の寄木造。像高96.2cmの地蔵菩薩は、左手に宝珠、右手に錫杖を持つ。撫で肩、浅い衣文、静かな表情。また左手に宝棒を握り、右手を腰に当てた毘沙門天は、鎌倉時代の像とは違って動きの少ない立ち姿。静的な顔は、むしろ優しそうな雰囲気。
最近造像された小さな金色の四天王が、須弥壇の左右に二体ずつ配置されている。毘沙門天すぐ前には多聞天が配されているが、優しげな毘沙門天とは対照的で、睨みを効かせて邪鬼を踏みつけている。地蔵尊の前には広目天。左手に巻物、右手に筆を持ち、眼力鋭いお顔。
<御神木 ムクノキ>
本堂裏にある御神木のムクノキは、推定樹齢500年ほどと言われる古木。宇治市名木百選 (S56年3月1日認定)に選定されており、樹高18m、幹周4.9mと説明板にはある。太い根元部分に空洞があり、主幹が一本折れているようだ。傍には小さなお社が建っている。
【伝説の大和田地蔵尊と蔵林寺地蔵尊について】
蔵林寺のある五ケ庄地域は、古くは近衛家所領で、大和田の地には近衛家の別荘もあったという。黄檗宗宗祖 隠元隆琦禅師が1661年に萬福寺を開創するに際して、幕府がこの地を公収。近衛家の領地は伊丹 (兵庫県) に移封され、大和田村・広芝村・畑寺村・新出村および岡本村の一部が萬福寺領として定められた。
近衛家に伝わる古文書・古典籍などを保存管理している 「陽明文庫」 が所蔵する文書の中に、「大和田庄地蔵堂再建勧進状」の残欠があるという。そこに「大和田庄には解脱上人 貞慶の刻んだ地蔵菩薩の霊像があるが、その堂が荒廃して雨露が地蔵尊を濡らすので、地蔵堂を再建したい」と記されているとのこと。

「解脱上人 貞慶 (1155-1213)」と言えば、平安末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した僧。興福寺の学僧として将来を嘱望されるも、当時の僧の堕落を嫌って南山城の笠置寺に隠遁。後には海住山寺 (元は観音寺) の復興に尽力するなど、釈迦・弥勒・観音さらには春日明神など多彩な神仏信仰に心を向けた。また地蔵信仰も深く、彼が著した『地蔵講式』を用いて、勧進聖が一般民衆に地蔵信仰を広めていったともされる。
現在、大和田地区に解脱上人作の地蔵菩薩像は無く、かつて存在したという伝承もないらしい。しかし、蔵林寺にはかつて地蔵堂があり、本堂に安置されている地蔵尊はそこに祀られていたという。こうしたことから、解脱上人作の地蔵尊は、現在の蔵林寺本堂に安置される尊像なのではないかとの見方もある由。

五ケ庄地域は、平安時代に 小野篁 が1本の桜の木から六体の地蔵菩薩像を刻んで祀ったという大善寺から近い。地蔵信仰と深い関わりのあるこの地に解脱上人が足を運び、滞在したとしても不思議はないだろう。
こうした所以からか、蔵林寺参道脇の小さな地蔵堂内には、高さ約40cmの六角石柱の各面に一体ずつ地蔵尊が浮き彫りにされた「六体地蔵石仏」が祀られている。こうした地蔵石仏はあまり見たことがなく、思い浮かぶのは、京都では 化野念仏寺 のものくらいだろうか。

<参考資料>
・ 蔵林寺 拝観資料 ・ 巨樹と花のページ 「蔵林寺のムクノキ」