大酒神社 (右京区太秦蜂岡町)

京都・寺社

廣隆寺から北東に4,5分ほど歩くと歩道側に大酒神社の石造りの鳥居が見える。大酒神社 鳥居
由緒書によれば、
「 祭神は秦始皇帝、弓月王(ゆんずのきみ)、秦酒公(はたのさけきみ)
 356年(仲哀天皇8年)秦始皇帝の子孫である功満王が母国の兵乱を避けて来朝した時に秦始皇帝の神霊を勧請し、元は「大辟(おおさけ)神社」と呼ばれていた。これより「災難除け」「悪疫退散」の信仰対象となる。
 372年(応神天皇14年)功満王の子・弓月王が百済から多くの民衆を伴って帰化し、朝廷に金銀等の宝物を献上。また弓月王の孫・酒公は、養蚕を行って絹綾錦を織り、夥しい絹布を献上。これに喜んだ天皇より「埋益(うずまさる)」との意味で「禹豆麻佐(うずまさ)」の姓を賜る。」 といった歴史ある神社。大酒神社 本殿

603年の廣隆寺建立後は、桂宮院(国宝)境内に鎮守社として祀られていたが、明治の神仏分離令で現在地に移されたとのこと。また廣隆寺で10月に行われてきた「牛祭り」(京都三大奇祭の一つ)は、元々は大酒神社の祭礼。それにしても秦氏というのは、平安遷都以前よりこのあたり一帯を広く治める氏族だったことを改めて認識。因みに兵庫県赤穂市にも「おおさけじんじゃ(大避神社)」という神社があり、その主祭神が廣隆寺を建立した秦河勝(大避大神)とのこと。