石像寺 (上京区千本通上立売上ル花車町)

京都・寺社

釘抜地蔵 山門通称名「釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)」で親しまれている石像寺(しゃくぞうじ)は、千本通のバス停「千本上立売」から歩いてすぐ。通りの東側に面している。浄土宗知恩院末寺。本尊は地蔵菩薩。

千本通から少し入ったところに山門。きれいに掃き清められた境内でまず目に入るのが、大きな釘抜きのモニュメントと、「釘抜地蔵尊」と書かれた赤い提灯が飾られた地蔵堂。ブロンズのモニュメントは、1964年に堂本印象が奉納したもの。堂本印象のモニュメント
お寺の歴史は古いらしく、平安時代の弘仁10年(819)に弘法大師・空海が開基。当初は真言宗だったが、鎌倉時代に俊乗坊重源によって再興され浄土宗に改宗。

【「釘抜地蔵」の謂れ】
地蔵堂に安置されている石の地蔵菩薩立像は、空海自らが彫り、もとはあらゆる苦しみを抜き取る「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれていた。それがいつしか訛って「釘抜地蔵」となったと言われているが、一説には次のような言い伝えもある。


室町時代の終わり頃、近くに紀ノ国屋道林という商人が住んでいた。道林はある時突然に両手が痛み始め、あらゆる治療を試みるもいっこうに効き目が無い。そこで石像寺の地蔵尊に願をかけたところ、7日目の満願の日、夢に地蔵菩薩が現れて「おまえは前世において人を恨み、呪いの人形を作ってその両手に八寸釘を打ち込んだ。痛みはその報いであるが、今怨みの釘を抜いてあげよう。」と言って抜き取った八寸釘を道林に示して見せた。夢から覚めると、両手の痛みはすっかり消え去っており、急ぎ寺に駆けつけると、本尊の前に血に染まった2本の釘が置かれていた。その時より、地蔵尊は「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったという。八寸釘と釘抜の奉納絵馬

現在も2本の八寸釘と釘抜を張り付けた奉納絵馬が、地蔵堂の外壁一面に並んでいる。

【石 像】
石像寺ではその名前の由来なのか、多くの石像が安置されている。
まず地蔵堂に安置されているのが、弘法大師作「石造地蔵菩薩立像」。そして地蔵堂の後ろに回ると、「石造阿弥陀三尊像」(「阿弥陀如来」と脇侍の「観音・勢至菩薩」)の安置されたお堂がある。光背の銘より伊勢権守佐伯朝臣為家という人物が願主で、元仁2年(1225)に造られたことがわかっているらしい。制作年の明らかな鎌倉時代の石造彫刻として貴重であるとして重文指定されている。石造阿弥陀如来 弘法大師三井

【弘法大師三井】
境内の東奥にある墓地の中央あたりには、弘法大師が加持水に用いたという「弘法大師三井」の一つがあり、今も水が湧き出て大切にされている。またこの地には、藤原定家や家隆が住んだとも伝えられ、墓地には定家らの供養塔もある。

千本通という賑やかな通りに面していながら境内は静かで落ち着く。今も信仰篤い人々が参詣するお寺のようで、一心にお祈りをしている姿を幾人も目にする。境内の桜がそんな人達を優しく見つめるように風に揺れていた。