住吉大伴神社 (右京区龍安寺住吉町)

京都・寺社

「きぬかけの路」石碑龍安寺から仁和寺に至る「きぬかけの路」沿いにある「住吉大伴神社」。静かな住宅街に大きな石鳥居が目立つ。境内は明るく開けていて、拝殿の朱色がまだ鮮やか。しかし幾多の変遷の歴史を経た古い神社のようだ。住吉大伴神社参道

<始まりは「伴氏神社」>
大和朝廷の豪族であった大伴氏が、平安京遷都に際してこの地域に移り住み、大伴氏祖神の天忍日命(あまのおしひのみこと)と道臣命(みちのおみのみこと)を祀ったのが始まりではないかとされる。弘仁14年(823)に氏を「大伴」から「伴」に改称した時に、神社名も「伴氏神社」に改称。貞観6年(866)の「応天門の変」で伴善男が失脚し、伴氏一族は没落。伴氏の勢力衰退と共に祭祀も次第に途絶。
<「住吉神社」へ>
平安時代末期、この辺りは左大臣・藤原実能(徳大寺実能)などを輩出した徳大寺家の領地となる。徳大寺家が和歌の神である住吉三神を祀ったことで社名は「住吉神社」に改称(『山城誌』)。以来龍安寺、谷口地区の氏神として崇敬される。
<そして「住吉大伴神社」に>
昭和17年(1942)、住吉三神及び大伴祖神を合祀し、社名は「住吉大伴神社」に変更され現在に至る。「本殿」は昭和初期の建築で、間口1間、奥行1間半の「縮小型住吉造」で全国唯一。昭和53年(1978)に拝殿、神饌所が新築され、同時に本殿屋根も茅葺から銅葺になる。(社伝より)住吉大伴神社 拝殿

境内末社に「斉明社・小松尾神社」と天照皇大神、大己貴命を祀る「十禅師社」がある。小松尾神社、斉明社 十禅師社

 

ただこの神社が「式内伴氏神社」と比定されるかどうかに関しては疑わしい所もあるようだ。


《 『神名帳考証』(江戸後期)には 「伴氏神社(中略)今龍安寺村にありて住吉と云ふ」 とあるが、「式内社調査報告」では 「龍安寺は『和名抄』の馬代郷に属し、伴宿禰が氏神を祭るベく賜った上林郷とは別郷であり、住吉神社にもかつて大伴神社と呼ばれたことがなかった」 と報告されている。さらに報告は 「明治8年(1875)龍安寺住職並に谷口村戸長連名による京都府への口上書には住吉神社・十禅師社の名はあるものの、伴氏神社の名は無く、式内伴氏神社に擬定しようとして、その社名までも住吉大伴神社と改称せしめたものと察せられる」 と続けられている。