彼岸に想う “雪中四友”

総記

 早咲きの桜の開花情報も聞こえ始めた彼岸の入だったが、「春分の日」はまるで春の嵐のような天候。風に大きく揺れる川岸の椿を眺めながら、ふと「雪中四友 (せっちゅうのしゆう)という言葉があったと思い出す。
 江戸時代の本草学者・儒学者である貝原益軒が著した『大和本草』 (『大倭本艸』1709年, 日本最初の本草学書とされる) には、「雪中四友 月令廣義曰、玉梅、臘梅、水仙、山茶、又 松竹梅、爲 歳寒三友」とある。ここにある『月令廣義』とは、中国明代 (17世紀頃) に著された中国の伝統的な年中行事・儀式・慣習などを解説した書物。また金井紫雲編 『東洋画題綜覧』 では、「雪中四友」は「玉梅、臘梅、水仙、山茶をいふ、何れも雪中、厳寒を冒して開き香気馥郁たるものだからである。(月令広義)」と解説されている。中国で古来より文人画の画題として愛された冬の花たちだが、確かに寒々とした冬枯れの景色の中で出会うと心が和む。

真宗興正寺の白梅

 ウメ (玉梅・梅)
  ウメは中国原産で、朝鮮半島を経由して日本に渡来した。今でこそ花と言えば「桜」だが、奈良時代から平安初期にかけてはウメ。中国から輸入された進んだ文化の象徴のように愛され、尊重されたのだろう。内裏の紫宸殿の庭には「左近の梅」( 今では「左近の桜」)・「右近の橘」が植えられ、『万葉集』にもウメを詠んだ歌が多く収められている。
 また、天満宮の主神となった 菅原道真 が、ウメをこよなく愛でたことは次の歌とともにあまりにも有名。
  こちふかは にほひおこせよ 梅の花 あるしなしとて 春をわするな (『拾遺集』巻第十六 雑春)
 昌泰4 (901) 年、大宰府へ左遷されるに際して、家の梅の花を見て詠んだとされる。

 ウメは観賞用の「花ウメ」と薬や食用のために栽培される「実ウメ」に分類され、庭木として植栽されているものの多くは「花ウメ」。1月の寒い頃からチラホラと咲き始め、3月も終わり頃まで咲いている。形も色も様々で、長く楽しめる。昨今ではSNSの普及もあってか、写真映えのする「しだれ梅」が人気があるようだ。しかし「しだれ梅」は、江戸時代中期頃に観賞用に品種改良されたものらしく、その歴史は比較的新しい。個人的には、樹皮にウメノキゴケがついた老梅に、ひとつふたつと咲く梅の花の閑寂な姿が好きだ。

萬福寺のソシンロウバイ

 ロウバイ (臘梅)・ソシンロウバイ (素心臘梅)
  ロウバイは12月頃から小さな黄色の花を咲かせるので、冬枯れの散歩道を楽しませてくれる。中国原産で江戸時代初めに日本に渡来。中国では、梅・水仙・椿とともに「雪中の四花」として尊ばれている。葉より先に花だけがポツポツと咲き、近づくと上品な甘い香りがするので、英名は “Winter sweet"。和名は中国名 “蝋梅 (ラーメイ) " を音読みしたという。また、光沢のある花びらが蝋細工のように見えるところから名づけられたとも。
 ソシンロウバイはロウバイから生まれた栽培品種で、その違いは花を見るとよくわかる。ロウバイの花は、中心部が暗紫色でその周囲が黄色。一方ソシンロウバイは、花全体が黄色でロウバイよりやや大きめな花を咲かせる。よく観察してみると、庭木として植栽されているのは圧倒的にソシンロウバイの方が多いようだ。
 蕾は生薬「ロウバイカ」として、頭痛や発熱、口の渇きなどの改善に用いられるらしいが、種子に中枢神経を興奮させる作用があるため有毒な樹木として取り扱われている。

天王社八幡宮のスイセン

 スイセン (水仙)
  スイセンは地中海沿岸地域からギリシャそして中国へと広く分布し、日本でも自生している。学名 “Narcissus" がギリシャ神話に登場する美少年の名前 “ナルキッソス" に由来することは、よく知られている。また和名「スイセン」は、漢名「水仙」を音読みにしたもので、中国の道教の古典『天隠子 (てんいんし)』* に由来するとも言われる。
 『天隠子』 の八章「神解」の後半に「… 在人謂之人僊 在天曰天僊 在地曰地僊 在水曰水僊 」(仙人とは、天に在るを天仙、地に在るを地仙、水に在るを水仙と言い… ) とあり、水辺近くに育つ清楚な姿と長い間咲き続けることが「水仙」に擬えられたとされるが、真偽の程は定かではない。
 現在様々な種類のスイセンを見ることができるが、平安時代に中国を経て日本に伝来し温暖な海岸地域で野生化したものを特に「日本水仙」と呼び、寒い冬に開花することから「雪中花」と称されたりもする。俳句の冬の季題「水仙」は、冬12月から春まで長く花を楽しませてくれる「日本水仙」を指し、明治期以降に渡来し春に咲くスイセンは、「黄水仙」などと別の言葉を冠して春の季題となる。
 嵐電 北野線の「撮影所前」駅から「常盤」駅までの線路沿いの土手には、スイセンが群生して車窓を楽しませてくれる。また「宇多野」駅に続く「桜のトンネル」の下草のように、ひっそりと咲くスイセンもきれい。ただ、スイセンの葉はニラやアサツキなどと似ているため、誤食されて嘔吐・下痢などの中毒事故が起こることもあるようなので注意が必要。「きれいな花には … 」ですか?

   電車道 水仙ゆれて 光合う  (畦の花)

西方寺のサザンカ

 サザンカ (山茶花 , 茶梅)
  童謡『たきび』にも「さざんか さざんか さいたみち」と歌われるように、冬の訪れとともに生垣や庭木として、そのあたたかな花色で寒い季節を楽しませてくれる。
 漢字表記「山茶花」は「さざんか」とは読み難いが、そこにはサザンカとよく似た花 ツバキとの混同があったらしい。本来、漢名「山茶花 (さんさか)」はツバキ類一般を指し、サザンカは「茶梅 (ちゃばい)」と表される。それがどこかで入れ代わり、さらに誤記により「茶山花 (ささんか)」となって訛化し、現在の読み「さざんか」になったと言われる。学名は “Camellia sasanqua" で、ツバキの学名は “Camellia japonica" … なるほどネ。
 『古事記』にも登場するツバキに比し、サザンカの栽培が盛んになったのは江戸時代になってからのようだが、今では花びらの散り敷く様を愛でる人も多い。野生種は10月から12月頃にかけて白い花を咲かせるが、現在は園芸品種も多く、11月から3月頃に開花するカンツバキ系や12月から4月頃にかけて咲くハルサザンカ系などがあり、色もピンクや赤地に白斑の入ったものなど多様。
 それにしても「雪中四友」の「山茶」がなぜ日本では「サザンカ」になったのか?ツバキには香りが無いからと言われたりもするが、サザンカの花もほとんど香らないような …。「サザンカの方が真冬の頃によく咲いているからかも …」と思ったりもするが謎。因みに歳時記では「サザンカ」が冬の季語なのに対し、「ツバキ」は春のそれ。

[『天隠子』について]
 中国の後漢末頃に始まったとされる 「道教」 は、古代中国の不老長寿や神仙思想を中心とした民間信仰に、道家思想・易・陰陽五行などの思想や呪術などが複合して成立した伝統的宗教。その道教の経典を集成したものが 『道蔵』 だが、『天隠子』 はその中に含まれる。「国書データベース」で、"浪華木氏蒹葭堂校訂" の和刻本『天隠子(唐) / 司馬承禎 撰』(明和6 (1769) 年 大坂 淺野彌兵衛 版) を閲覧できるが、その序において唐の司馬承禎 (647-735) は「天隠子は、吾、その何許の人なるかを知らず」と記している。「天隠子は子微 (司馬承禎) である」とか「天隠子は司馬承禎が書いた」などの記述を見ることもあるが、作者未詳というのが現状らしい。
 『天隠子』は「神仙」「易簡」「漸門」「斎戒」「安処」「存想」「坐忘」「神解」の8章から成るが、各章は極めて短い。内容は人が “神仙" となるためには「漸門」という五つの修行の階梯、すなわち「斎戒」「安処」「存想」「坐忘」「神解」があると説き、それぞれの段階について記している。

<参考資料>
・ ArtWiki  立命館大学             ・  『生薬の花』  公益社団法人 日本薬学会 website
・ 天隠子 (唐) / 司馬承禎 撰 / 孔恭 校訂 明和6 (大坂) 淺野彌兵衛  (「国書データベース」  国文学研究資料館)
・ 「道蔵輯要本 『天隠子』」  (学退筆談 : 中国古典に親しむ)
・ 『みんなの趣味の園芸』   NHK出版 website