妙心寺 (右京区花園妙心寺町)

京都・寺社

妙心寺 南総門JR嵯峨野線(山陰本線)を花園駅で下車。丸太町通り沿いに東に少し行くと、北側に臨済宗妙心寺派「大本山妙心寺」の大きな南総門が見える。
寺伝によれば、建武4年(1337)、花園法皇の発願により関山慧玄を開山として離宮を禅寺に改めたのが始まり。応仁・文明の乱の際には伽藍を焼失し荒廃したが、六祖雪江宗深の尽力により細川勝元らの援助も得て再興。雪江は、農民との付き合いを大切にして法門を広げ、寺院経営にあっては厳重な会計制度を行うなど新たな発展の基礎を築いた。さらに雪江門下の四人、景川・悟渓・特芳・東陽が、それぞれ龍泉・東海・霊雲・聖澤の四派を興して地方に末寺を増やし、宗勢を全国的に拡大。こうした寺院の在り方から、いつしか「妙心寺の算盤面(づら)」と呼ばれるようになったという。
現在約10万坪と言う広大な境内には、七堂伽藍を中心として46の塔頭が軒を連ねる。しかし境内は明るく開けた雰囲気で、自転車に乗った人、ウォーキングや散歩をする人達の姿がそこここに見られ、近所の人々の日常に溶け込んだお寺といった印象を受けた。


三門総門をくぐるとまず朱塗りの三門が目に入る。その北に、仏殿、法堂そして大方丈仏殿と並ぶ。明暦3年(1657)創建の法堂(重文)では、狩野探幽が8年の歳月を費やして描いたという「雲龍図(八方にらみの龍)」を見ることができる。また、以前は鐘楼で時を告げていた「黄鐘調鐘(国宝)」が現在は法堂で保管されている。文武天皇2年(698)の作で、紀年銘のある鐘としては最古のもので、『徒然草』にも名鐘として記されている。
その他の重要文化財として、日本三大庫裏の一つとされる大庫裏(享禄元年(1528)創建)や、明智光秀の叔父である塔頭・大嶺院の密宗和尚が、光秀の菩提を弔うために創建したという浴室(通称「明智風呂」)などがある。通常非公開の伽藍や塔頭も多いので、機会があればまた訪れてみたい。