称念寺(猫寺) (上京区寺之内通浄福寺西入上る)

京都・寺社

通称「猫寺」と呼ばれる称念寺は、千本通から寺之内通を東に少し入った北側にある浄土宗知恩院派の寺院。猫がたくさんいるお寺なのかな?と思ったら、「猫の恩返し物語」が伝わることに因んでとのことだった。
山門をくぐると参道は真っ直ぐ本堂に続く。参道右側には「猫松」と名付けられた松の古木が、本堂近くまで立派な枝を伸ばしている。庫裡の方からは猫の鳴き声が…やっぱりネコはいた!?称念寺(猫寺)

慶長11年(1606)、常陸国(現・茨城県)土浦城主・松平伊豆守信吉が師僧である嶽誉(がくよ)上人のために建立。嶽誉は私淑する浄土宗捨世派の祖・称念を開山とし、寺号を「称念寺」とした。当寺に葬られた松平信吉の母が徳川家康の異父妹であったことから、徳川家の三つ葉葵を寺紋としているとのこと。松平信吉没後は次第に衰微し、享保15年(1730)には「西陣焼け」で類焼。宝暦5年(1755)、転法輪三条前右府により再建される。

ところで「猫の恩返し物語」とは…?
【猫の恩返し物語】
 松平信吉没後、寺は松平家と疎遠になり次第に衰微。3代目住職・還誉の頃には寺禄を失い、托鉢による喜捨に頼っていたが、大変な愛猫家の住職は自分の食を削っても猫に餌を与えるほどだった。ある名月の夜、住職が托鉢から疲れて帰ると、美しい姫御前が扇をかざし優雅に舞っている。驚いた住職がよく見ると、本堂の障子に映し出されているのは愛猫の影だった。自らの苦労にもかかわらず踊り浮かれている猫に立腹した住職は、愛猫を追い出してしまった。
 ちょうどその頃、松平家では姫が急な病に罹り、臨終に際して自分を称念寺に葬るようにと遺言した。一方住職の夢枕には姿を消した愛猫が立ち、「明日、寺を訪れる武士を丁重にもてなせば寺は再び隆盛する」と告げる。翌朝夢告通りに松平家の武士が訪れ、遺言により姫をこの寺に葬ってくれるようにと伝えた。以後松平家と復縁した寺は以前にも増して栄えたという。

本堂と猫松その後還誉住職は愛猫を偲んで松を植え、それが現在も境内に「猫松」として残っている。枝が横に伸びた松の形が、猫が伏した姿を表すという。
以上のような所縁により、以来称念寺は動物を手厚く供養するお寺となったとのこと。

本尊「阿弥陀如来像」は、平安中期の高僧・恵心僧都(942-1017)作と言われ、かつて民間を転々としていた像を初代の時に本尊としたと伝わる。機会があれば一度拝観させていただきたいものだ。