六道珍皇寺 (東山区大和大路通四条下ル)

京都・寺社

 東山の清水道交差点を松原通沿いに西に5分程歩けば、お盆の〝六道まいり〟で知られる六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ/ちんこうじ)の山門が、右手に見える。門前には「六道の辻」と彫られた立派な石碑。もう少し先には幽霊子育飴の「みなとや」がある。

六道珍皇寺 山門【歴 史】
 お寺の縁起によれば、その起源は奈良・大安寺の住持で弘法大師の師・慶俊僧都(きょうしゅんそうず)が延暦年間(782年-805年)に開創したのに始まる。ただその起源・歴史に関しては諸説ある古刹らしい。平安遷都以前、東山阿弥陀ヶ峰山麓に居住した豪族・鳥部氏の氏寺・宝皇寺(ほうこうじ、鳥部寺とも)が前身、あるいは承和3(836)年,豪族・山代淡海(やましろのおうみ)が国家鎮護のために開基したのが始まり等々。
 平安時代は東寺の末寺で、鳥部郷・八坂郷・錦部郷(にしごりごう)の三郷にわたる寺領を持つ大きな寺院であったようだ。しかし平安後期には度々火災に遭い、再建を繰り返したらしい。その後、貞治3(1364)年に建仁寺の住持・聞溪良聰(もんけいりょうそう)が再興し、臨済宗に改宗。応仁の乱の際に建仁寺と共に焼失し、しばらくは建仁寺塔頭・大昌院に併合される。明治43(1910)年に再び独立し、現在に至る。

六道珍皇寺 本堂【盂蘭盆会〝六道まいり〟】
 普段は静かな六道珍皇寺だが、盂蘭盆に先立つ8月7日から10日に行われる〝六道まいり〟には多くの参拝者で賑わう。参道では高野槇や愛宕の樒などを売る花屋が並び、松原通にある仏具・神具店ではロウソクや盆灯篭・香などが商われる。京都では、古よりこの世と冥界との境とされる「六道の辻」にある六道珍皇寺は、お盆を前に「お精霊(しょらい)さん(先祖の魂)」を迎えるために詣でるお寺なのだ。
 参拝者は、本堂で亡き人の戒名または俗名を書いてもらった水塔婆を線香の煙で浄め、高野槙で水回向する。そして「迎え鐘」を撞きながら、お精霊さんが迷わずに冥界から帰ってくることを祈るという行事。閻魔堂(篁堂) 地蔵堂

【小野篁と閻魔大王そして「六道」】
 〝六道まいり〟が六道珍皇寺で行われるのには、小野篁の「冥府通い」伝説とも深い関係がある。平安初期の公卿で優れた文人でもあった小野篁(おののたかむら、802-852)は、奇行の人としても知られ、多くの伝説の持ち主。その一つが「冥府通い」。篁は昼間は朝廷で官吏として仕え、夜には冥府に赴いて閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという(『江談抄』,『今昔物語集』など)。その冥府に往くのに用いた井戸(死の六道、入口)が、六道珍皇寺の庭内にあるという。また2011年には、旧境内地跡より新たに篁ゆかりの伝承がある井戸が発見され、こちらは「黄泉(よみ)がえりの井戸」として公開されている。(因みに嵯峨の福正寺跡(明治期に廃寺)には、篁が冥府から還るのに用いたと伝わる井戸(生の六道、出口)がある。)
 「迎え鐘」隣には「閻魔堂(篁堂)」があり、篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されている。また「六道」とは、仏教で人間が死後に行く六つの冥界とされているもので、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道のこと。因果応報により、人は死後この六道を輪廻転生すると説かれている。
 この付近が、平安時代の中期頃までは鳥辺野と呼ばれる葬送地への入り口であったことから、こうした伝説や風習が生まれたのだろう。