“藤右衛門さん” のさくら

人物

山越の植藤 (うえとう) 造園さんの桜、今年もとてもきれいに咲いていた。以前は桜苑の公開がされていたが、平成30 (2018) 年の台風による被害があって以降、コロナ禍なども続き一般公開はされていない。しかしご近所の人達を中心に、道路沿いの敷地にある桜は見せていただけるようだったので少しばかりお邪魔することに。
茅葺き屋根の住宅の西側に、紅枝垂桜を始めとして様々な桜が所狭しと植栽されている。石灯籠や十一重石塔、石の道標などが適所に配されてなかなか見応えがある。

 

【植藤造園と佐野藤右衛門氏】
 天保3 (1832) 年創業の「植藤造園」は、代々御室仁和寺の植木職人としてその造園工事に携わってきた。そして「佐野藤右衛門」は「植藤」の当主が襲名する名で、現在第16代目。14代目より滅び行く桜を憂えて日本各地の「名桜」の保存・育成に努め、その種は現在約200を数えるという。

 《祇園の夜桜》
 円山公園のシンボルとも言える「祇園の夜桜」 (正式名 ”一重白彼岸枝垂桜 (ひとえしろひがんしだれざくら)) は、実は2代目で初代は昭和22 (1947) 年に枯死している。これに先立つ昭和3 (1928) 年、15代藤右衛門氏は初代の種子を採取して育成に着手 (この年に16代藤右衛門氏が誕生)。昭和24 (1949) 年、15代藤右衛門氏は育成した桜を円山公園に寄贈、植栽。以後2代目「祇園の夜桜」は、15代そして16代藤右衛門氏によって大切に管理されている。

 《16代佐野藤右衛門氏》
 昭和3 (1928) 年生まれの16代目藤右衛門氏は、祖父そして父の桜の種の保存・育成にかけた情熱を継ぎ「稀代の桜守 (さくらもり)」として現在も活躍。
 ブラジルやドイツなど海外での桜植栽工事にも携わり、昭和33 (1958) 年には、イサム・ノグチの設計になるパリ・ユネスコ本部の日本庭園を施工。平成9 (1997) 年には、ユネスコ本部から芸術や文化に傑出した貢献をした人物・団体に対して贈られる「ピカソ・メダル」を受賞。また平成17 (2005) 年には、京都迎賓館の庭園造成に棟梁として携わる。
 最近では植藤造園と所縁の深い国立病院機構 宇多野病院に、藤右衛門氏が種子から育てた「宇多野山桜」を寄贈・植樹されたり、平成25 (2013) 年の台風18号による浸水禍で枯れてしまった嵐山公園中之島地区の枝垂桜に代えて、藤右衛門氏が円山公園の枝垂桜の種から育てた桜を植樹することに携わったりと活躍しておられるようだ。
 「桜守」として長らく自然と向き合ってきた藤右衛門氏の発言は傾聴に値する。

<参考資料>
・ 公益財団法人 京都市都市緑化協会 「円山公園のご案内」       ・ 植藤造園  HP
・ 環境省インタビュー 第 24 回「京都御苑ずきの御近所さん」
・ 京都新聞 Web版