曼殊院 (1) (左京区一乗寺竹ノ内町)

京都・寺社

武田薬品「京都薬用植物園」

 天台宗五箇室門跡の一つである曼殊院は、比叡山西麓に位置し、叡山電鉄の修学院駅から歩いて20分ほどかかる。白川通を過ぎてさらに東へと歩を進めると、辺りは次第に田畑の広がる鄙びた景色になってくる。
 参道左手に「曼殊院門跡」の石標が建ち、真っ直ぐ奥に勅使門が見える。参道南側には武田薬品の「京都薬用植物園」があるが、玄関前の庭園に噴水がありなかなかきれい。

【歴 史】
 延暦年間 (782-806) に伝教大師 最澄が比叡山に堂宇を建立したことに始まる。その跡を慈覚大師 円仁が継ぎ、天暦年間 (947-957) に是算 (ぜさん) 国師が比叡山西塔北谷に移して「東尾坊 (とうびぼう)」と号した。(曼殊院では是算国師以前のことが不詳であるため、彼を初代としている。)

「曼殊院門跡」石標

<曼殊院と北野天満宮との関係>
 是算国師が「東尾坊」を起こした頃、菅原道真を祭神として祀る北野神社 (現・北野天満宮) が造営された。是算国師が菅原氏の出生であったことから、北野神社の別当職に補され、以後明治維新まで曼殊院の歴代門主は北野天満宮の別当を兼任することとなった。

 天仁年間 (1108-1110) 、8代門主 忠尋の時に北野天満宮管理のため北山に別院を建立し、寺号を「曼殊院」と改める。しかし室町時代、足利義満の北山殿 (鹿苑寺) 造営のため御所内公家町 (相国寺の南方) に移転。明応4 (1495) 年頃、伏見宮貞常親王を父とし、後土御門天皇の猶子となった慈運法親王が26世門主として入寺して以降、曼殊院は代々皇族が門主を務める宮門跡となる。

<『小さな桂離宮』へ>
 明暦2 (1656) 年、桂離宮を創始した八条宮智仁親王の第2皇子 良尚 (りょうしょう) 法親王 (後水尾天皇の猶子となる) が29世門主として入寺し、現在の地に堂宇を移して寺観を整えた。この地は『山城名勝志』によれば、曼殊院同様に比叡山の小坊であった月林寺の跡地であったという。
 良尚法親王は天台座主そして天和元 (1681) 年には曼殊院門主となり、竹之内門跡と称せられた。また曼殊院造営にあたっては、桂離宮を完成させたといわれる兄 智忠親王のアドバイスを受けて建設。大書院・小書院は「桂離宮の新御殿」や「西本願寺の黒書院」と並んで数寄屋風書院の代表的な遺構とされる。また、書院内の釘隠しや引手、欄間などが桂離宮と共通した意匠がみられ、同じ系列の工房で作られた物であることから曼殊院は 『小さな桂離宮』 とも呼ばれている

 明治時代の「神仏分離令」により曼殊院と北野神社 (北野天満宮) の関係は解消。
 明治5 (1872) 年、京都療病院 (現・京都府立医科大学附属病院) の新設に際して宸殿が明治新政府に上納・売却され、売却金は寄付された。
 令和4 (2022) 年、150年ぶりに宸殿が再建される。

【庫裡 (1976年 重文指定)
 入毋屋造、平入の形式で本瓦葺。唐破風造、檜皮葺の玄関が付き、とても広い。入り口には良尚法親王筆になる扁額「媚竈 (びそう)」が掲げられ、上を見上げれは越屋根が設けられている。拝観はこちらからとなる。土間を上がると右手奥に鎌倉時代のものとされる石造の大黒天が安置されている。

【上之台所】
 庫裡の左手にあるのが上之台所。高貴な来客や門跡寺院の住職などのための厨房ということで、こちらも広い。竈がいくつもあり、棚には以前使われていたと思われる什器が並べられている。また供された料理のお品書きが何枚も貼られ、なかなか興味深い。

勅使門

【大玄関】
 庫裡から真っ直ぐ進むと右手に大玄関があり、玄関を囲むように「竹の間」「虎の間」「孔雀の間」の三つの部屋がある。

「竹の間」… 玄関脇の部屋。この部屋の壁には竹の模様の壁紙が貼られているが、実は我が国最初の版画という。竹の連続模様がモダンな感じ。手掛けたのは寛永元 (1624) 年より今も唐紙屋として京都で唐紙文化を守っている「唐長 (からちょう)」さんとのこと。

「虎の間」… この部屋は皇族方が勅使門から大玄関に入った時の第一の間になる。襖絵11面は桃山時代の狩野永徳筆による「竹虎図」曼殊院がこの地に移されたのは明暦2 (1656) 年なのに、桃山時代の狩野永徳の障壁画があるのはなぜ?  それは現在の建物の多くが、まだ曼殊院が御所内公家町にあった頃のものであり、障壁画もそれに付随しているものだからという。
 「桃山期の金碧障壁画の特色が窺われ (略) 描写様式よりみて当代狩野派の画家の手になるものと考えられ、竹林群虎の図の中でも生彩を放つ遺例といえる」と評価され、1977年に重文指定となる。襖絵は廊下からの拝観。

「孔雀の間」… 襖絵は江戸時代中期から後期にかけて活躍した岸派の祖 岸駒による。お得意の迫力ある虎の絵でなく、親子の孔雀が南画風に描かれ優しい感じを受ける。奥の内陣 (?) に仏像が数体安置されているが、薄暗くはっきりとは見えない。お寺の説明によれば「善光寺如来」が祀られているらしい。日本三如来の一つとされる長野善光寺の「一光三尊阿弥陀如来」を模したものであれば、是非拝観したかった。

曼殊院 参道

 多くの部屋が回廊で繋がっている曼殊院を拝観していると、なんだか迷路のよう。中庭を見て所蔵する宝物の一部が展示されている部屋を過ぎると、境内東側の小書院に出る。

<参考資料>
・ 曼殊院門跡 拝観の栞       ・ 曼殊院門跡 公式ホームページ
・ 「文化遺産データベース」文化遺産オンライン
・ 「国指定文化財等データベース」 文化庁