大原のお地蔵さんと田の神さん (大原勝林院町)

町のお地蔵さん

 大原三千院から勝林院に向かうと、律川に架かる朱い橋 (末 (未?)明橋または茅穂橋) がある。橋を渡って川沿いの細い道を服部神社方面に向かって散策していた折に、水田の前に置かれたお地蔵さんに出会う。

 田植えが済み水が張られた田の水面には、背後の山並みが映っている。大きな石の台座の上に、大小二体の石のお地蔵さんと見慣れない石像。その脇にこの石像についての説明書があった。

<説明書>
 田の神さん (たのかんさーん) の一句
 (昔) 早乙女が 苗をまくばる 里うらら   (今) ひたひたと ふれあいもなく 苗植わる
 田の神さんがかついでいるのは鍬です

お地蔵さんと田の神さん(左)

 どなたが書かれたのかわからないが、「田の神さん」の言葉を借りて日本の農業の現況をさらりと表現しているようだ。若い人には、自然相手の骨の折れる仕事よりもトレンディでおしゃれな都会の仕事の方が魅力的に思え、農耕に従事する人達が年々減少しているのが今の日本。しかし人間が「生きる」基盤となっているのは「食」。大原という自然豊かな土地を訪れた人達が、このお地蔵さんと田の神さんに出会い、農耕について考えるきっかけになれば良いナって思う。

 

田の神さんの説明書

 民俗学者 柳田國男は 「日本の田の神信仰は、どこの国からの借りものでも真似でもなく、言わば我々の神の道のまっ只中である」 と説き、古来日本の山の神信仰や祖霊信仰と深い関わりを持つ農耕神が「田の神」とする。また鹿児島県の薩摩・大隅、宮崎県の日向南部 (旧薩摩藩の領内) では、「タノカンサァ」という名で親しまれている石像の田の神があるという。田の畦や田を見渡せる丘に立って水田を見守るものと,「田の神講」で座元から座元へ移される持ち回りのものがあり、その種類も様々で自然石から地蔵型、神官型、農民型などがあるようだ。

 大原の石像はまだ新しく、田の神信仰を忘れないようにと造られたのかもしれない。田植えの終わった水田と田の神様を見ながら、なんだかとても感慨深く感じた。

<参考資料>
・  『年中行事覚書』 柳田 國男 著 (講談社学術文庫), 講談社,1977 (青空文庫)
・ 鹿児島県 ホームページ  「田の神像」
・ えびの市観光公式サイト  「田の神さぁってなぁに?」  宮崎県えびの市観光協会