曼殊院 (2) (左京区一乗寺竹ノ内町)

京都・寺社

 比叡山西麓にある天台宗五箇室門跡の一つ 曼殊院では、2022年10月に第四十三世門主に西郊良光大僧正が就任。また明治5 (1872) 年に京都療病院 (現・京都府立医科大学附属病院) 新設のため明治新政府に上納された宸殿も、約150年ぶりに再建され、今年5月には宸殿の落慶法要と併せて晋山式が営まれた。これらを記念して5月13日から7月2日限定で「秘仏国宝黄不動明王像」の特別公開が行われた。

宸殿の屋根

【宸 殿】
 歴代天皇・皇室関係者の位牌を祀る門跡寺院の中心となる施設「宸殿」の再建は、曼殊院にとって悲願であった。再建にあたっては宸殿跡地の発掘調査から礎石の痕跡が確認されたことから場所が決められ、建物は曼殊院所蔵の絵図などを参考にして、往時に近い形でおよそ2年半の歳月をかけて復興されたという。木造平屋入母屋造で、大書院とは渡り廊下で繋がっており、足を踏み入れると清々しいヒノキの香りがする。ただ屋根は耐久性を考えてチタン材が使用されている。
 「上段の間」には、修復作業が完了したばかりの国宝「黄不動明王像」と、愛知県立芸術大学で4年間に及ぶ模写作業が行われて奉納された模写像が並べて掛けられていた。「怖い」というよりはむしろ親しみを覚える表情が印象的な不動明王。模写像も本物に近い仕上がり。国宝については色彩の劣化や折れ・亀裂・剝落を防ぐために今後は秘仏扱いで公開はされないようなので、貴重な拝観となった。
 「中央の間」は法要を行う部屋で、奥には本尊と歴代門主の位牌が置かれている。本尊「阿弥陀如来坐像」(重文) は、これまで大書院にお祀りされていたもの。また良尚法親王が北野天満宮より曼殊院に移した「十一面観世

盲亀浮木之庭

音立像」(菅原道真公の化身とされる) も安置されている。
 そして大玄関へと続く「左の間」には、“おみくじの祖“として知られる元三大師像 (「木造慈恵大師坐像」重文) が、やはり大書院から移され安置されている。「上段の間」以外は廊下からの拝観なので、お像の細部はよく見えなかった。また宸殿前には「盲亀浮木之庭 (もうきふぼくのにわ) 」と名付けられた石庭が広がり、現在の上皇・上皇后お手植えの「右近の橘」と「左近の桜」が並ぶ。

【大書院 (重文)】
 数寄屋風書院の「大書院」は、曼殊院が現在の地に移った明暦2 (1656) 年に建立。寄棟造で丸みを帯びた柿葺の「むくり屋根」と赤みを帯びた「大津壁」が特徴的で、天井は船底天井になっている。かつて仏間に本尊 阿弥陀如来立像を安置していたことから重要文化財指定名称では「曼殊院 本堂 (大書院) 」とされている。

扁額「塵慮尽」

 正面東側に「十雪 (じっせつ) の間」、西側に「滝の間」がある。どちらの間も狩野探幽筆になる障壁画があるが、残念ながら傷みが激しい。「十雪の間」にある違い棚は、様式・用材ともに「桂離宮」と同じで同時に造られたという。また欄間は、「桂離宮」の「月の字崩し」を少し変えた「月形卍崩し」と呼ばれる。また縁側にある扁額「塵慮尽」は、良尚法親王が大切にしていた心を表したもので、「よこしまな心を払い取り除く」という意味とのこと。
 大書院は、桂離宮の新御殿や西本願寺の黒書院とともに数奇屋風書院の代表的な建物と言われている。

 

【小書院 (重文)】

小書院から見た大書院と庭園

 大書院とその東北側に建つ小書院は、広い縁側で雁行型につながり、屋根は桂離宮と同様に二重になっている。これは雁が二羽重なって飛んでいく様子に見立てられ、厚さ3mmの椹の板を重ねて敷き詰めた柿葺で軽さを表現しているという。2016-17年度に屋根の葺き替え工事が行われた。 

 東南側に八畳の「富士の間」。狩野探幽筆になる襖があり、松花堂昭乗筆「閑静亭 (かんじょうてい) 」の額が掛かる。「富士の間」の名は、七宝焼きの富士山の釘隠しがあることから付けられた。「富士の間」の北には、曼殊院門跡の中で最高の格式を誇る部屋「黄昏の間」がある。良尚法親王が日常生活を送る空間で、七畳に台目畳二畳の上段を備え、床・棚・付書院。こちらの間も襖絵は狩野探幽筆。約10種類の寄せ木を用いて作られた違い棚「曼殊院棚」は、桂離宮の「桂棚」とともに名作とされる。二つの間の仕切りには菊透かしの欄間があり、門跡寺院らしい。

茶室「八窓軒」

【茶室「八窓軒」(重文)】
 小書院の北側に隣接する茶室。大書院・小書院と同様に江戸時代の建物。京都三名席の一つ (他の二席は、南禅寺・金地院「八窓席」、大徳寺・孤篷庵「忘筌席」)。小堀遠州風の意匠が随所に見られる平三畳台目の茶室。仏教の八相成道に因む八つの窓があることから「八窓軒」と呼ばれる。(非公開)

 大書院・小書院には「桂離宮」に共通する意匠が多く見られるが、その中の一つである襖の取っ手や釘隠しなどの細工は、「桂離宮」の金具も手掛けた金工師・嘉長が作ったということで、こうした細かな部分にも良尚法親王の美意識が感じられる。また大書院と小書院の南には、水の流れを白砂で表した枯山水庭園が広がり、独特な意匠の石造物も印象的。ここにも良尚法親王らしさが表れているようだ。庭園を含む境内全体が、1954年に国の名勝に指定されている。

護摩堂

【護摩堂】
 境内の南西、大書院前の庭園の西側にあり、創建時に良尚法親王が建立したとされる。宝形造の桟瓦葺屋根に白壁のお堂。平安時代に作られた大聖不動明王像が本尊として安置され、良尚法親王筆の篆書「驚覚 (きょうがく)」が掛けられているようだ。(非公開)

<参考資料>
・ 『京都・左京の寺院に150年ぶり「宸殿」復活 再建計画動かした女性の存在』  京都新聞 デジタルプラス, 2023,5.25
・ 『天台宗五ケ室門跡のひとつ「曼殊院門跡」を訪ねる』  伝教大師最澄1200年魅力交流コミュニケーションサイト 「いろり」
・ 『洛北を代表する名刹「曼殊院門跡」』  (「きょうとくらす」 京都放送)      ・ 『文化遺産データベース』  文化遺産オンライン