奈良博「聖地 南山城」展を観て

奈良

 奈良国立博物館では7月8日から9月3日まで 特別展「聖地 南山城」展 を開催中。浄瑠璃寺 (木津川市) の九体阿弥陀仏の修理が完成した記念展ということで、木津川市、京田辺市、城陽市、井手町、宇治田原町、笠置町、精華町、南山城村、和束町の9市町村の寺社に祀られている仏像・神像や絵画、史跡出土品などの展示がされている。
 京都国立博物館で浄瑠璃寺の阿弥陀如来坐像の一体を拝観して以来、浄瑠璃寺には是非行ってみたいと思っていたので、今回の特別展は滅多に無い機会と思い奈良まで出かけた。

 「南山城地域」は、奈良市と隣接する京都府最南部の地域。木津川市には、天平12 (740) 年に聖武天皇が遷都した「恭仁京」の史跡があり、平城京から平安京へと続く文化の回廊でもあったと思う。
 今回の展示では、飛鳥・奈良時代から江戸時代にかけての南山城における日本仏教の歴史が、7章仕立て・二つの展示室で構成されている。
 第1章 恭仁京の造営と古代寺院  第2章 密教の広がりと山岳修験
 第3章 阿弥陀仏の浄土  第4章 解脱上人貞慶と弥勒・観音信仰
 第5章 行基と戒律復興  第6章 禅の教えと一休禅師     第7章 近世の南山城と奈良

【浄瑠璃寺】
 修理を終えたばかりの国宝 阿弥陀如来坐像 (9体の内の1・8) 二体は、第2展示室入り口に並んで安置されていた。今回は光背が別置されているため、4方向から像をじっくり観察できる。二体の顔立ちは微妙に異なり、光背の彫りもそれぞれに特色がある。きっと工房の仏師達は、切磋琢磨して各々の技量を最大限に発揮したのだろうと想像される。また国宝「三重塔」に安置されてなかなか拝観できない薬師如来坐像 (重文) は、平安期の像らしくどっしりとしておおらかな感じ。金箔や赤い衣の彩色などとても良く残っている。
 さらに驚いたのは、浄瑠璃寺が以前所蔵し、その後別々の場所で所蔵されている十二神将が約140年ぶりに揃って展示されていること。子神、丑神、寅神、卯神、午神、酉神、亥神が静嘉堂文庫美術館、辰神、巳神、未神、申神、戌神が東京国立博物館の所蔵。ヒノキ材寄木造り、玉眼。興福寺東金堂像とともに鎌倉時代前半の代表的な十二神将像の一つで、運慶系統の仏師工房の作と考えられ、十二躯のすべてが残ることでも貴重であるとして重文指定。像高80cm程の小ぶりな像だが、動きのある体の線、細部の細やかな仕上げなどとても写実的。しかも色彩や截金模様なども保存状態が良く、見入ってしまう。

【海住山寺・笠置寺】
 「海住山寺 (かいじゅうせんじ)」は、古代には「瓶原 みかのはら」と呼ばれ、恭仁京が造営された地にある古刹。天平時代に聖武天皇の勅願により良弁 (ろうべん 東大寺初代別当) が「観音寺」として創建。平安末期には荒廃していたが、弥勒如来磨崖仏や修験道で知られる「笠置寺」に隠棲した興福寺の貞慶 (解脱上人) によって鎌倉時代に再興され、寺名も「海住山寺」と改められた。海住山寺は寺宝も多く、「解脱上人貞慶と弥勒・観音信仰」の章の展示は、この二寺の所蔵になるものが殆ど。
 第1展示室に入るとすぐ目に入るのが、海住山寺の十一面観音菩薩立像 (重文)。平安時代の一木造りで、彩色が残っている。全体的に丸みを帯びた姿で、独特な雰囲気が漂う像。また鎌倉時代の作という四天王立像 (重文・4躯) は、近年海住山寺で発見されたもので、保存修理を終えての展示 (現在は奈良国立博物館に寄託)。鎌倉時代らしい動きのある像で、彩色がとてもよく残り美しい。戦国時代に焼失した東大寺大仏殿四天王像に近い形相を有すると考えられているようだ。

【袋中 (たいちゅう) 上人と京都】
 江戸前期浄土宗の学僧 袋中良定は、天文21 (1552) 年、現在の福島県いわき市に生まれた。14歳で出家し、慶長7 (1602) 年51歳の時、渡明して新しい経論を求めようと企図するが琉球に漂着。そこで尚寧王の帰依を得て桂林寺を創建し、3年間布教に専念。慶長11 (1606) 年に帰国し、同16 (1611) 年、京都三条橋畔に「檀王法林寺」を創建。その後も奈良の念仏寺、京田辺市の西方寺など多くの寺院を建立・再興している。また、浄瑠璃寺が欠本の一切経を売って破損した殿堂を修復することになった際、袋中はこれを購入。脱巻している部分は書き写して全備した。
 先日のKBS京都テレビ『京都浪漫』第124回の檀王法林寺紹介では、沖縄のエイサーの起源が袋中上人が浄土念仏とともに伝えた念仏踊りにあるとのこと。この檀王法林寺からは、袋中が蒐集した一切経の一つ「頻毘娑羅王詣仏供養経」(天平12 (740) 年)が出展。また袋中を開山とする「西寿寺」所蔵の「当麻練供養図」(元和7 (1621) 年) は、軸木中央部の内部が刳り抜かれ、袋中自筆の願文と50枚におよぶ六字名号が収められていたという貴重なもの。

【神童寺 (じんどうじ)】
 木津川市にある「神童寺」は、聖徳太子創建と伝えられ、役小角もここで修行をしたという山岳仏教の栄えた地の古刹。
 今回出展の「不動明王立像」(平安時代, 重文) を見た時の第一印象は「どこかで見たような…」。そう、先般拝見した曼殊院の国宝「黄不動」!こちらは木造だが、園城寺の国宝「黄不動」に通じるものがあると言われているようで、園城寺の模本である曼殊院のものと共通するものがあるのも納得。全体が白色で「波切白不動尊」と呼ばれているとのこと。まさに「童子」のようなおおらかな様子が平安期の特徴か。同じく重文の「愛染明王坐像」(平安時代) は、天に向かって矢を射る「天弓愛染」。怒りの凄みはなく、体全体もどことなく柔らかな感じ。彩色もよく残り印象深かった。

【鑑賞を終えて】
 南山城には長い歴史と多くの寺宝を持つ寺社が点在するが、その存在は控え目で知られることも少ないことを、改めて今回の特別展で知ることができた。交通の便を考えると、近いようで遠い地域だが、近々是非行ってみたいと思った。
 展示会場では「『聖地 南山城』鑑賞ワークシート」なるものが用意されていた。クイズ形式で漢字にはルビがふられており、挿絵も多くて子供達も興味が持てるような工夫がなされている。大人と子供の両方が楽しめるように、博物館も色々と考えているようだ。
 東大寺や興福寺の木陰では「神使い」のシカ達が暑さを避けて休憩中。やっぱり「奈良と言えばシカ」ですね。次は久しぶりに奈良のお寺巡りでもしようかな …。

<参考資料>
・ 「聖地 南山城 特別展」 リーフレット  奈良国立博物館
・ 静嘉堂文庫美術館ホームページ  「所蔵品紹介」
・ 『海住山寺木造四天王像について』 岩田 茂樹 著   (海住山寺ホームページ 「解脱上人寄稿集」 No.9)
・ 『南山城の古寺』  山崎しげ子 文    飛鳥園, 2019.5
・ 檀王法林寺ホームページ          ・ WEB版新纂浄土宗大辞典