浄光寺 (上京区寺之内通千本東入)

京都・寺社

浄光寺 山門千本寺之内の細い道を東に入るとすぐ北側、ビルの谷間に小さな山門。まだ新しい寺院のようだが、門前脇の「池大雅墳墓道」という石標が目に留まり、参拝させていただくことに。浄土宗のお寺で、本堂内は非公開。開基は安土・桃山時代、浄土宗の僧・浄誉によるとも言われているらしいが詳細不明。池大雅の墓碑
門をくぐるとまっすぐ北に墓地が見える。その墓地の西北角に覆屋があり、「故東山画隠大雅池君墓」の銘が刻まれた池大雅の墓碑が安置されていた。側面には相国寺の住持・淡海竺常撰文、韓天寿の筆になるという銘文。お正月にNHKのドラマ『ライジング若冲 天才 かく覚醒せり』を観て、伊藤若冲や円山応挙と同時代に活躍したことを知り何となく気になっていた画家だけに奇遇。
墓地の近くには「なかよし地蔵」と名付けられた微笑ましい姿の石のお地蔵さま。こちらの寺院にも信心深い檀家の方がいらっしゃるのだろう。
なかよし地蔵

【池大雅 (1723-1776)】
 江戸時代中期の文人画家。与謝蕪村とともに日本の文人画(南画)の大成者とされる。京都銀座役人の下役の子として生まれるが、父を早くに亡くし経済的に苦しい子供時代を過ごす。柳沢淇園に文人画を学び、中国の故事、名所、日本の風景などを描いた。西洋画の表現なども採り入れて独自の画風を確立。妻の玉瀾も画家。代表作には、与謝蕪村との共作になる画帖「十便十宜図」(大雅は「十便図」を担当)や一橋徳川家に伝来する「楼閣山水図屏風」(どちらも国宝)などがある。

また墓碑の銘の撰文に当った「淡海竺常」とは、『ライジング若冲』にも登場した「大典顕常」のこと。京都禅林中最高の詩僧と称され、売茶翁(高遊外)との交遊は有名。日本最古の『茶経』の注釈書である『茶経詳説』を著す。