北嵯峨散策:千代の古道を経て

京あれこれ

今回は広沢池南西にある兒神社を出発点に、「千代の古道」に沿って大覚寺まで。さらに大覚寺北側の山裾(朝原山町)をぐるっと回り、広沢池の西側へと散策。空には雲一つなく絶好のお散歩日和。

【千代の古道(ちよのふるみち)】
 平安京と嵯峨方面とを結ぶ古道のこと。古来、和歌に多く詠まれているが、複数のルートが伝わり確定的な道はないらしい。江戸時代の『都名所図会』には「千代の古道は正しき名所にあらざるよし名所の諸書のせたり。…定まりたる名所にあらざるといふも、その謂あらず。」と記されている。現在ある石標は、1980年に京都西ロータリークラブが国際ロータリー創立75周年を記念してコースを設定、建立したもの。  (参照:フィールド・ミュージアム京都)

加藤千蔭の歌 畑の角にある石標[兒神社内の石標の歌]
  御幸せし昔の秋の跡とめて  紅葉をわくる千代の古道       春海

[畑の角にある石標の歌}
  君が代の千代の古道ふりはへて  引くや子の日の嵯峨の山松    千蔭

(村田春海(1746-1811)、加藤千蔭(1735-1808)はともに、江戸時代中期から後期にかけての国学者・歌人。二人は賀茂真淵に国学を学び、和歌では江戸派の双璧と称された。)

  大覚寺までの道は畑の中を縫うように続く。赤いレンゲと黄色の菜の花咲く畑の上には蝶や鳥が飛び大沢池入り口交っている。農家の方々の好意で整備されたという散策路もある。農作業に精を出す人達を見遣りながらやがて大沢池近くまで。大沢池も通年有料となったようで、立派な料金所ができていた。

  大覚寺前を通り過ぎて「直指庵」の道標で北上すると、まもなく竹林が見えてくる。左手に浄土宗「称念寺」そして「北嵯峨霊園」。さらに北に進むと「嵯峨天皇 嵯峨山上陵 参拝道」の石標。整備された石段が木々の間をはるか山上の御陵まで続く。今回は山には登らず東に向かう。

嵯峨天皇 嵯峨山上陵 への参道    しばらく人家が続く静かな道を歩いて行くと、山裾に向かう細い道の角に「直指庵」の案内矢印。北側に竹林、南には広がる畑を眺めながらさらに東進すると、突然整備された一角が目に入る。 「後宇多天皇 蓮華峯寺陵」の立札。木立に覆われた参道を少し入ってみると、ぽっかりと明るい空間が広がり、池に掛かる石橋の向こうに御陵が見える。池には大きな鯉が泳ぎ、石の上では亀が甲羅干し。辺りの樹上ではサギがゆったりと羽を休めている。竹林の奥からは尺八の調べ。人影は見えないが、練習中?でも澄んだきれいな音色だ。傍の石に腰を下ろして樹々を揺らすそよ風の中で木洩れ陽を浴びていると、なんとも清々しい。

   御陵を後に道を南へ進むとやがて広沢池の西辺り。ここまで来ると行き交う人の姿も増えてくる。徐々に日常の時間の流れに戻りながら散策終了。