後宇多天皇 蓮華峯寺陵 (右京区北嵯峨朝原山町)

2022年5月26日陵墓・墓所

広沢池西北に位置する朝原山の東南麓に「後宇多天皇 蓮華峯寺陵(ごうだてんのう れんげぶじのみささぎ)」がある。府道136号線(大覚寺平岡線)の未整備区間にあたり、道路から参道が見える。池に掛かる石橋を渡ると、手入れの行き届いた御陵拝所が森の静かさの中に佇む。後宇多天皇陵入り口
御陵入り口前の山道を東に入ると、「長刀坂古墳群」と呼ばれる古墳群が点在しているらしい。背後の森林は「長刀坂国有林」としてアカマツ林の再生など風致保全の取り組みが行われている。

「後宇多天皇 蓮華峯寺陵」拝所【後宇多天皇(1267-1324)】
 第90代亀山天皇の第二皇子として誕生。1274年に8歳で第91代天皇として即位するが、亀山上皇による院政が敷かれ、これが亀山天皇系(大覚寺統)と後深草天皇系(持明院統)の対立の端緒となる。第一皇子である後二条天皇(94代)の治世(1301-1308)に院政を行うが、第二皇子後醍醐天皇の治世の時(1321年)、白河上皇以来二百余年に及んだ院政を停止して後醍醐天皇の親政とした。
 深く仏教に帰依していた後宇多天皇は、1307年に皇后の遊義門院が没すると、仁和寺で得度。出家後は大覚寺を御所とすると同時に入寺、大覚寺門跡となった。出家後、大覚寺北東山麓に蓮華峯寺を建立し、八角堂(八角円堂)を建て自らの墓所に定めた。『建立蓮華峯寺縁起』によれば、堂内に順逆五輪石塔を安置して中心の円にはみずからの遺骨を、そして四方の円中には皇考・皇妣・皇后・皇子の各遺骨を安置し、蓮華峯寺と号することを託したらしい。1324年崩御の三日後、蓮華峯寺傍の山で火葬に付され五輪塔に納められたとのこと。

 天皇崩御後は大覚寺が陵を奉祠管理していたが、応仁・文明の乱で蓮華峯寺は焼失。その後廃絶。江戸時代に陵は補修されて「蓮華峯寺傍山陵」となり、さらに「蓮華峯寺陵」に改められた。