琴きき橋跡・角倉了以邸趾 (渡月橋東側)

2022年8月10日史跡

【琴きき橋跡】(右京区嵯峨天龍寺造路町)
石標「琴きき橋跡」観光客で賑わっている嵐山の渡月橋。石標「琴きき橋跡」(京都西ロータリークラブ建立)は、橋の北詰に木立に隠れるように建っている。石標の東面には「一筋に雲ゐを恋ふる琴の音に ひかれて来にけん望月の駒」の碑文。『平家物語』において、嵯峨野で源仲国が小督局を探す場面を詠んだ歌か。
 『平家物語』巻六や能『小督(こごう)』で知られる第80代高倉天皇とその寵姫・小督局の悲恋にまつわる旧跡だ。 その物語とは

「時代は平清盛が権勢を極めていた頃。愛妾・葵の前を亡くし悲嘆にくれる高倉天皇を慰めようと、中宮建礼門院(清盛の娘)は、自分に仕える女房のうちから美貌の琴の名手「小督」を天皇に遣わす。小督はもともと冷泉大納言隆房(こちらも正妻が清盛の娘)の恋人だったが、天皇の寵愛を受ける身となったため、泣く泣く隆房との関係を断ち切った。しかし面白くないのが事の一部始終を知った清盛。「二人の娘婿を奪われるなどとは世間体が悪い。なんとしても小督を召し出して殺すに限る」と激怒。この由を知った小督は「我が身はともあれ、高倉天皇にまで災いが及んでは申し訳が立たない」と、ある夜、内裏を抜け出し行く方知れずになってしまった。
石標「琴きき橋跡」小督を失い嘆き悲しむ高倉天皇に対し、清盛はさらにお世話の女房を遠ざけ天皇を孤立させるような仕打ちをした。時は過ぎ八月の月の美しい夜のこと。天皇は宿直の弾正少弼・源仲国に「小督は嵯峨の辺りの片折戸をした家にいると聞いたので、尋ねてきてくれないか」と命じる。家の主人の名も知れないのにどうしたものかと思案しつつも、仲国は嵯峨の釈迦堂から法輪寺方面へと探し尋ねた。亀山の近くまで来ると、とある家の中から琴の音が聞こえてきた。耳を澄ませて聞けば、それは別れた夫を恋しく想う「想夫恋」という曲。まさしく小督の琴の音だった。」

 源仲国がその小督の琴の音を聞いた場所が、渡月橋のこの付近ということ。
 その後小督は、仲国の仲立ちで再び宮中に戻り、密かに高倉天皇と逢瀬を重ねて女児を授かる(坊門院範子内親王)。しかしまたしても二人の仲は清盛の知るところとなり、小督は東山の清閑寺で出家させられることに。高倉天皇は、様々な心労の為に間も無く21歳の若さで逝去。

【渡月橋と法輪寺橋】
渡月橋北詰から 今では京都の一大観光スポット「渡月橋」。鎌倉時代の亀山天皇(在位1259-74年)が、満月の夜に舟遊びをしていた時に「くまなき月の渡るに似る」、つまり、月が橋の上を渡るように見えると詠ったことから「渡月橋」と称されるようになったというエピソードはあまりにも有名。しかしこの渡月橋、橋が架けられた頃は「法輪寺橋」と呼ばれていたらしい。

京都市の『京(みやこ)の橋しるべ』によると、承和3(836)年、弘法大師の高弟・道昌(橋の南にある法輪寺(当時の名は「葛井寺」)の中興の祖) が大堰川を修築し、橋を架けて船筏の便を開いた。貞観10(868)年に寺名が「法輪寺」と改められ、橋は「法輪寺橋」と呼ばれるようになった。往時の橋は、現在の場所より100mほど上流にあり、慶長11(1606)年に角倉了以が大堰川の上流保津川の開削工事を行った際に、現在の場所に架け替えられたとのこと。

【角倉了以邸趾】(右京区嵯峨天龍寺角倉町)角倉了以邸趾
渡月橋から桂川沿いに東に向かうと、道路北側に公立学校共済組合 嵐山保養所「花のいえ」がある。立派な唐門の前に「此附近 桓武天皇勅営角倉址・了以翁邸址・平安初期鋳銭司旧址」と刻まれた石標。京都市歴史資料館の「フィールド・ミュージアム京都」では、各々の史跡は次のように説明されている。
桓武天皇勅営角倉址」… 桓武天皇の頃、都の四隅に官倉があり、西にある倉を「角倉」と称してこの辺りにあったようだ。地名「角倉町」の由来か。
「了以翁邸址」… 保津川や高瀬川の浚削工事を行った角倉了以・素庵父子が舟運管理のためにこの地に設けた邸宅跡。角倉家はもともと近江国愛知郡吉田村(滋賀県)の出身とされ、室町時代に上洛し、幕府お抱えの医者となる。その後医業で得た財を元に土倉を営むようになり、その頃より「角倉」を名乗るようになったらしい。明治時代、荒廃していた角倉邸を三代目京都府知事北垣国道が、邸宅の文化的価値を保護するために購入。その後のいくつかの変遷を経て、昭和26年に公立学校共済組合嵐山保養所「花のいえ」が角倉邸の遺構を活かして開設された。
「平安初期鋳銭司旧址」… 平安初期にこの付近に貨幣の鋳造所があったことを示す。現在は松尾大社の摂社である櫟谷宗像神社について、『日本三代実録』(貞観12(870)年)の中で「葛野鋳銭所近くの宗像・櫟谷・清水・堰・小社の5社に対して賀茂上下社・松尾社とともに新鋳銭を奉納した」と記されていることがそれを裏付けるのか…。

<参考資料>
・『(京(みやこ)の橋しるべ』 第6号 京都市建設局橋りょう健全推進課 平成26年10月発行
・公立学校共済組合 嵐山保養所 花のいえ HP
・『フィールド・ミュージアム京都』 京都市歴史資料館