清凉寺の涅槃会・お松明式 2023 (右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)

京都・寺社

3基のお松明

 初めて清凉寺 (嵯峨釈迦堂) の「涅槃会 (ねはんえ)」及び「お松明 (たいまつ) 式」を見たのが2019年。あれから4年ぶり、コロナ禍で中止が続いた行事が久しぶりに執り行われると知り、出かけてみることに。

本堂前の高張提灯

 すっかり暗くなった午後7時過ぎ。清凉寺仁王門前の長辻通には屋台が並び、人々が続々と境内に入って行く。境内中央には護摩壇と高さ7mほどもあるという漏斗状の3基の大松明が立てられ、それを取り囲むように屋台が軒を連ねている。「涅槃会」は午後8時からだが、この日は夕刻より御本尊「生身の釈迦如来立像 (国宝)」を無料で拝観できるというので、まずは赤い高張提灯が灯された本堂へ。2月8日の「八日会法要」以来の参拝だが、穏やかなお顔を見ているとなぜかホッとする。内陣には江戸時代作の縦約6m・横約4mの「大涅槃図」が掲げられ、今日が涅槃会法要の特別な日であることを知らせている。「大涅槃図」は大切に保管されているのか、色も鮮やかで美しい。

 

午後8時頃:「松明保存会」や消防署、警察署の人達の入念な打ち合わせの後、僧侶の方々が入られて厳かに誦経が始まる。10分程すると、まず護摩壇に点火され、奉納された護摩木が次々と焚かれていく。

お練り

午後8時20分頃:護摩木が焚かれ誦経が続く中、僧侶や保存会の人達が提灯を掲げて護摩壇と大松明の周囲を練り歩く「お練り」が始まる。今年は4年ぶりのためか護摩木が多く、「お練り」の時間も長かったように感じた。

午後8時30分頃「お練り」の人々の足が止まり、いよいよ「お松明式」へ。長い竿にぶら下げられた稲わらが護摩壇の火で点火され、3本の大松明に次々と放り込まれていく。大松明はよく乾燥しているのか瞬く間に3本の火柱となり、火の粉があちらこちらに舞い、境内には歓声がどよめく。やがて真っ赤な炎の熱風が吹きつけ始め、あまりの熱さに屋台の後方に避難!途轍もない迫力の炎の祭り!

午後9時近く「お松明式」は無事終了。

 

【お松明式とは】
 清凉寺の「嵯峨お松明式」は古くは「嵯峨のはしら松明」とも呼ばれ、「五山の送り火」「鞍馬の火祭」とともに「京都三大火祭」に挙げられる。
 竹、松、杉の枯枝や藤蔓を用いて作られる漏斗状の3基の大松明は、それぞれ早稲 (わせ)・中稲 (なかて)・晩稲 (おくて) に見立てられ、その燃え方によりその年の稲作の出来具合を占う。また大松明に付けられている12個の輪は、1年12ヶ月の豊作を願って付けられる天狗の顔に見立てたものと言う。
 本堂前には「おみくじ」と呼ばれる13個の赤い高張提灯が立てられる。提灯には嵯峨十三町の旧町名と数字が書かれ、住職が引いたくじ順に長さの異なる竹竿に吊るされる。提灯の番号は1月から12月を示し、以前はこの提灯の高低によって1年間の米相場の高低を占っていたらしく “嵯峨野の提灯相場” と呼ばれていたと言う。なお提灯が13個あるのは旧暦の閏月の名残とのこと。
 京都市の無形民俗文化財に指定されており、「涅槃会と火祭行事が結びついた例のひとつであり,釈迦の荼毘を再現すると同時に、3基の松明の火勢の強弱によりその年の豊凶を占う」と紹介されている。また嵯峨お松明の行事そのものは、既に江戸時代初期には行われていたようだ。

(雑感)
 本堂内撮影禁止にも拘わらず「大涅槃図」にカメラを向ける参拝者や、京都府指定有形文化財である多宝塔に上がってお松明式を見物する人達などマナー違反が散見された。せっかくの歴史ある伝統行事が続くためにも、その意義・意味をきちんと伝えていくことがますます重要になってくるのではないか。

   涅槃会の 夜空を染める 浄き火に 手を合わす人 姿尊し  (畦の花)

<参考資料>
・ 財団法人 京都市文化観光資源保護財団 「会報」第7号 1974年1月
・ 国立国会図書館 レファレンス協同データベース 「レファレンス事例詳細 : “嵯峨野の提灯相場”について」
・ 京都市情報館 「京都市指定・登録文化財-無形民俗文化財(右京区):嵯峨お松明(さがおたいまつ)」